再発防止のための活動を刑罰に加えたらどうかな

ここのところ痛ましい事故が続いています。

足が弱り、公共交通機関の利用が困難かつ億劫になった高齢者が(座ったまま運転できてラクな)自家用車での外出を継続。アクセルとブレーキを踏み間違えて母子を死亡させたり、

不注意運転で直進車とぶつかってはね飛ばし、結果として園児ふたりを死亡させたり、

繁華街の駅前でバスを発信させ、横断歩道を渡る歩行者をはね飛ばしたり・・・

突然に家族を奪われた被害者の辛さ、悲しさは想像を超えるものだと思います。

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車を運転していて事故を起こし、誰かをケガ、もしくは死亡させた場合、昔は「業務上過失致死傷罪」で最長 5年の懲役にしかなりませんでしたが、今は刑罰もどんどん厳しくなっています。

詳しくはこちらのサイト(JAFサイト 交通事故の刑事責任)でも見ていただくとして、もっとも重いのは「危険運転致死傷罪」です。

これは薬物やアルコールを服用しての運転や、大幅なスピード違反での事故、妨害目的運転(いわゆる"あおり運転”)などに適用されます。

刑罰はケガ人がでると 10年以下の懲役、死亡者がでると 1年以上の有期懲役(最高 20年、加重だと最高 30年)で執行猶予もつきません。

もうひとつの過失運転致死傷罪は、よそ見その他の過失により起こした事故に適用されるもので、7年以下の懲役・禁固か、100万円以下の罰金。こちらは執行猶予がつく場合も多々あります。

なお上記の罰金は刑法上のものですが、民事で損害賠償裁判が行われれば、億単位の賠償命令がでることもあります。

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さて、最初に紹介した事故については(最終的には裁判で決まることですが)、おそらくすべて2番目の過失運転致死罪なんじゃないでしょうか。

最長7年、場合によっては執行猶予もあり、という刑罰の妥当性については様々な意見があるでしょう。

議論として更なる重罰化を検討することも可能ではありますが、今日はちょっと違う方向での提案をしてみたいと思います。

というのも、事件の後、被害者の家族の方の記者会見や声明文を見ていると「私たちのような悲しく辛い思いをする人がもう絶対にでないようにしてほしい」という文言が必ずといっていいほど出てくるからです。

正直、少々刑罰を重くしても冒頭に書いたような事故が減るとは思えません。だって上記のような事故を起こした人も私も、事故前には「自分が加害者になるなんて想像もしてない」からです。

ではいったいどうすれば、こういった事故を効果的に減らせるのでしょう?

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私が考えたのは、懲役の「役務」として、社会奉仕的な役務を指定してはどうかということです。

実は他の先進国には、施設での奉仕活動や街での清掃活動など、数十時間から数百時間の福祉的な活動を刑罰の一種とする制度があります。
→ 諸外国における社会奉仕命令の事例

たとえば池袋でブレーキとアクセルを踏み間違えたとみられている高齢ドライバーの刑罰に「200時間の体験講演」を加えたらどうでしょう。

免許更新センターに行くと、申請から発行までに数十分の待ち時間があって、交通事故防止のビデオを見ながら待ったりするでしょ。

75歳以上の更新申請者に関しては、あそこで(ビデオの代わりに)この加害ドライバーに「事故を起こしてしまって、どれだけ後悔しているか」を語ってもらうんです。

元キャリア官僚で勲章までもらった華々しい経歴がありながら、人生の最後に「将来ある母子を殺してしまう」なんて事故を起こし、「なぜもっと早く免許を返納できなかったのか」と涙ながらに語ってもらえば、

「もう一回、更新しようと思ってたけど、やっぱり免許返納しよう」と翻意する申請者もいるんじゃないでしょうか?

目の前でまさに人の命を奪ってしまった人が語れば、退屈な教科書的な交通安全ビデオとはまったく違うレベルの緊張感をもって、見る人に訴える力を持つと思うのです。


不注意運転で園児ふたりを死に追いやった大津の女性ドライバーは、取調中に泣き出してしまうほど動揺していると報道されていましたが、

その気持ちをいつまでも忘れないため(現行の刑罰に加え)、同じく免許更新センターでの講演を数百時間、科すとか。

そして「一瞬の気の緩みや前方不注意によって、園児ふたりを死なせてしまった後悔」について、涙ながらに語りつづけてほしい。

それを聞けば、これまで以上に運転に慎重になるドライバーもたくさんいるでしょう。

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実は、こういった事故は「車の運転」以外でも起こっています。

スマホを見ながら自「転」車に乗り、高齢の歩行者にぶつかって死亡させてしまったのは 20歳の女子大学生。

この学生さんは重過失致死罪で起訴され、禁固2年(執行猶予4年)の判決がでています。

前方をよく見ず、坂道を自転車でスピードを出して下っていた小学生も、ぶつかった歩行者が脳挫傷という大けがを負い、こちらは親の責任が問われ、民事の賠償金として(今後の介護費用を含め)9500万円という判決がでました。

時間がないから、スゴク急いでいるからと、毎日毎日、歩道上を自転車で爆走してる人なんて、いつ加害者になってしまっても不思議ではありません。

「誰かの命を奪ってしまう」・・・そんな立場になることなど、自分にはあり得ない。関係のない話だ。

世の中のほとんどの人は、そう思っていますよね?

冒頭に上げた事故の加害者たちが、みんな(事故の直前まで)そう思っていたように。

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自動車にも自転車にも乗らないから「自分は加害者にはならない」と思うのも間違いです。

多くの人が行き交う駅でキャリーをひっぱりながら歩いていて、他の歩行者の足をひっかけ、転倒させてケガをさせたり(場合によっては死亡させたり)、

道ばたでサッカーボールを蹴ったり、キャッチボールをやっていて、取り損ねたボールが、杖をつきながら歩いている高齢者や自転車にあたって転倒させ、大けがや死亡事故につながる可能性もあります。

日本は高齢化が進み、杖をついたり歩行具を押して歩く人も目立つようになりました。

こういった人たちは、ちょっとしたものにぶつかっただけで、転倒し、骨折し、寝たきりになり、時には死亡してしまいます。体の小さな子供も同じです。

てか大人だって自転車にぶつかられ、転倒して頭部を打てば脊椎損傷などで半身マヒなど大けがにつながる可能性があります。

自転車が細い歩道上を走るなんてそれ自体とても危険な行為であり、誰でも日々の暮らしの中のちょっとした不注意で、誰かの命を奪ってしまう可能性がある。

そんな「当たり前のこと」でさえ、私たちはほとんど意識できていないのです。

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事故を起こしても重大な過失がない場合、刑罰は重くありません。執行猶予がつくことも多いでしょう。

だからといって、彼らの住所を特定してネットで私刑を煽ったりすることに、ポジティブな価値があるとは思えません。

そうではなく、少しでも同じような事故を減らすため、「そんな事故を起こしてしまった自分の行為と反省について語る数十時間の講演」を社会奉仕罰として科し、事故防止につなげるほうが余程マシでは?


20歳の大学生にとって、自転車に乗りながらスマホをいじり、結果として人を殺してしまったなんて、これからの人生を大きく変えてしまうほどのインパクトがあるはず。

普通に就活して、普通に恋愛して、そんな人生さえ難しくなってしまう。

でも、自転車に乗りながらスマホを見るなんて(その事故の直前までは)ごく当たり前の日常だったかもしれません。

それが「人を殺す」という行為につながるなんて、自発的に意識できる人は多くないんです。


でも、もし彼女がその体験をいろんな大学の入学式で語ることになれば、それを聞いた学生の中から「自分は絶対に自転車スマホなどしない!」と誓う人も現れるでしょう。

もちろん加害者にとっても、「いつまでもいつまでも、自分の犯した罪に向き合い続ける」のはラクなことではないでしょう。

でもだからこそ、この役務が「刑罰」としての意味をもつのです。


以上、こんな不幸な事故を少しでも減らすためにどうすればいいのか。

最近の痛ましい事故に関して「自分のアタマで」考えたコトを、自分用メモとしてまとめておきました。このブログは、私が「考えたこと」=思考結果を格納しておく場所だから。

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犠牲者の方のご冥福をお祈りします。


そんじゃーね