とても好きで、不思議な文章がある。各社の文庫本の最後の方にある一ページ。文庫本シリーズの発刊にあたって、各社のトップが記した「決意文」みたいなやつね。下記は角川書店のですが、新潮文庫にもあるし、別の文庫でも見たことある。
これ、「すんごい小さい字」で書いてあって、旧仮名遣いで、時に読むのに「虫眼鏡がいる」状態なんですが、文章自体はどれも格調高く洗練されていて、心打つ文章が多く、ここの文章を読むのが、また、読み比べるのが、大好きなちきりんです。
★★★
これ不思議なのは、最近はやりの「新書」シリーズにはこういう文章がないってこと。単行本にはもちろんないのですが、なんで「文庫だけ」、各社が決意表明文?を書いているのか?ってのもなかなかに興味深いです。文庫本という体裁の出版が始まった時、たぶん、何か深い?社会背景とか出版人の思いの凝縮であったとか、なにか背景があるんだと思います。
あと、「円本」と言われていたものと文庫本というものが「同じもの」なのかどうかも、ちきりんは知らないのですが、このあたり「出版と言論の戦後史」みたいな“新書”があれば、是非読んでみたいものです。
というわけで、今日は角川のをご紹介。他社のと比べてこれが一番好きなわけではないのですが、今読んでいる本、すなわち手元にある文庫が角川のものなので、これを転載します。他社のはまた別の機会に。
★★★
角川文庫発刊に際して
角川源義
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。
私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
西洋近代文化の摂取にとって、明治以来八十年の歳月は決して短すぎたとはいえない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗してきた。そしてこれは、各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった。
一九四五年以来、私たちは再び振り出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。
角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石足るべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果たすべく角川文庫を発刊する。
これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。
しかし私たちは徒に百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄えある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。
多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負を完遂せしめられんことを願う。
一九四九年五月三日
★★★
最初の一文は名文だよね。あの戦争で破れたものは、軍事力ではなく若い文化力であったと。出版人の視点で言えば、当然にそう表されるべきであったろう。あの時、敗北を喫したものは、私たちのなんだったのか、それぞれの立場の人たちが、それぞれに胸に刻んだのだと思う。
ちきりんは文庫本好きだ。値段が手頃で持ち運びに便利な大きさと重さで、あと、紙質が好きです。きれいだけどレトロでしょ。昔の文庫本の紙に比べると圧倒的に「きれい」なんですけど、それでも「知性の質素さ」を体現している感じの紙質だよね。
最近は新書がはやりだけれど、文庫本って、何かを伝えようとしている気がするよ。上の文章にも決意があふれているでしょう?「創立以来の念願を果たすべく角川文庫を発刊」とか「この文庫を角川書店の栄えある事業として、今後永久に継続発展せしめ」とか。
今日は、広島に大きな爆弾の落ちた日です。生活のどこかに、この時代のことを思わせるものが密かに埋められているのは、悪くない、と思うだよ。
んではね。