どうなる冥王星?

さっきニュースを見ていたら、上記のタイトルでニュースをやっていました。惑星の定義によって、水金地火木土天海冥・・・云々の太陽系惑星の数が変わるかも、という例のニュースですね。日本時間の明日未明の会議で決まるとか。


この「どうなる冥王星?」という言い方、かなり違うよね。

正しく言えば「どうなる天文学?」でしょ。
「燃えるゴミ」ではなく「燃やすゴミ」が正しいという話と同じ。今回問題になっているのは冥王星ではなく天文学なのよ。だから「どうなる冥王星?」じゃなくて「どうなる天文学?」です。もっと言えば、「どうなる天文学会?」かもしれない。


今回の議論において、大半の人にとって(もちろん、ちきりんにとっても)最も意義深いことは、「星って何?」という問いに、答はないということが明らかにされたこと。いや、その答が「あたかも自然界に存在しているかのように」「学会によって決められていた」「ということが明らかにされた」、ということだ。

これが一番おもしろいことだし、それを多くの人が明示的に意識した、ということが大事なことでしょ。

星とは何か?」という問いに答えるのは、神でも自然でも、ましてや科学でもない。「多数決」なの。「多数決が決める」のだ


社会科学系の事象だとこういうことはよくある。計算方法が変わると「実はあの頃の経済成長は○%でした。だから高度成長ってほどでもなかった」みたいになったりする。「経済成長」ってのは、「社会の現象」ではなく、「計算の結果である」ということを、私たちは既に理解してる。

だけど、自然科学系だと「真実」というものがある、と思いこむ。それは人が左右できることではなく、神の領域のこととして?「自然に」「そうなのだ」という概念だと、思いこむ。


ちきりんだってそう思ってたよ。でもさ、「いや確かにそうではあるのだが」=すなわち、「真理」は確かに存在するのであるが、その周りに、まるで厚化粧のように幾層もの幾層もの「人為的な思考の結果」が真理の周りを固めているものこそが「学問」と呼ばれているのだ、ということを、今回の話は極めて明確に私たちに示してくれた。しかも世界的に通用する話題で。



これはでかいでしょう!!


と思うけどね。



だから、今日の夜中(明日)の議論の結果は大いに注目に値する。何が問題となっているか、ということに、彼らが気がついている結論を出すのか、いや気がつかないわけはないのだが、それを意識した結論を出すか、そうでないか、そのあたり、注目度大です。



極端な例で言えば、これが冷戦時代で、冥王星を発見したのがソビエトだったとする。他の惑星はアメリカとイギリスが発見していたとする。どういう議論になるか、割と推測しやすいでしょ?冥王星の次に小さい星はどこが見つけたか、とか。


ちきりんは天文学なんて超無知なので、なんもしりませんが、「真理」と「人間の決定」というのは全く違うものだ。多くの人々が「真理」だと信じていたことを、そうではないのだと、世界中のマスコミがこぞって報道をしている。これはすごいと思います。天文学は大きなモノを失った。しかも、たぶん純粋に学問的な探求心によって。



ではでは