多数決

「民主主義」が「完璧だ」とか「ゴールだ」とか「すばらしいものだ」と思ってる人は、どれくらいいるんだろう。全員ではないのはよくわかるが、半分よりは多いかな?よくわかりません。

人はそういう感覚を「どこで」身につけるのか?あんまり「民主主義って何か?」とかって学校で習った記憶はないでしょ。だから経験から判断している人が大半だと思うけど、普通どこで「民主主義はすばらしい!」って感じるようになる(刷り込まれる)のかね。


戦争の時代の記憶がある人に関しては、よくわかる。「比較すれば」、「戦後民主主義」は極めて「安心で平和」なんだろう。比較級の形での「民主主義はあの時の制度よりマシ」っていうのは、よく理解できます。でも、比較級で言えば、戦争に突入するようになる前(必ずしも民主的ではない社会)の方がよかった、という人もいるでしょう。どの時代が「比較的」よかったか、というのは、人によって、立場によって異なる。


あとね、「民主主義はうさんくさい」とか「キライ」という気持ちの方は、これはわかりやすい。アメリカを見てて「民主主義って汚い」とか「自分勝手に振る舞うことをそう呼ぶのか」とか思う人はたくさんいるだろう。民主主義に懐疑的な人の多くが、このパターンだと思う。(この話はむかつくから今日はもうしません。)

★★★

マスコミで「イラクの人はフセイン体制の方が幸せだった」と言ったりする。それが本当かどうかは不明です。当時も今も不幸という人もいるだろうし、クルド人なんかは今の方が幸せだろう。しかし、確かに「前の方が余程よかった」という人もたくさんいるでしょう。つまり、立場によっって違うわけだ。



「前の方がよかった」人には2種類の人がいる。というか、2種類のパターンかな。

ひとつは、特権階級であった人が「パンピー」(一般ピープルの略)になった場合。自分が不当な特権を享受できていた非民主的な制度の方が好ましいだろう。サウジアラビアの王家のみなさんとかさ。金正日も同じ。民主主義なんてくそくらえ。

もうひとつは、経済的状況とか安定度、とかですね。民主主義ってのは「ややこしい」制度なのだ。イラクを見てればよくわかりますが、民主主義ってのは原理的に不安定だし、無秩序だ。その上、経済的な状況は必ずしも民主主義のレベルと相関しない。だから、「軍事独裁下だが、今より安定していた(予測可能だった)し、経済的にもましだったし」ということが起こりうる。だから「前の方がよかった」という場合がありうる。

★★★

ちなみに民主主義とは何か?「あなたの定義を言え」と言われたら、皆さんどー説明されますか?いろんなこと言う人がいそうですね。ちきりんが「民主主義ってなに?」って言われたらどう答えるかと言えば、

「民主主義は多数決」

って言うと思う。結局そーゆーことではないかと思ってるのだ。



んでもって、これが、ちきりんが「民主主義」というものに「懐疑的」で「シニカル」であることの理由なのだ。どーも「すぐれた制度」とは思えないのだもの、多数決って。(アメリカも嫌いだが、ちきりんの場合は、それが民主主義に懐疑的になった理由ではないです。)

★★★

たとえばね、仕事上の大半の判断って、多数決なんかで決めないでしょう?この商品をどういう商品にするか、とか、この契約を結ぶべきかどうかとか、まともな会社でそんなことを「多数決」で決めてる会社はないです。ちゃんと話し合うわけ。どっちがよい策か、どちらが採るべき案なのか、って。

たとえ違う意見の人が極めて少数でも、時には「ひとりだけが強硬に主張している」ような場合でも、一応検討するよね。というか、まともな会社はこういう少数派の声を数の力でむりやり押し切ってきてないから、まともな会社に(結果として)なっているのだ。

個人の判断もそうですよね。進学、結婚、出産、転職、なんにしろ「多数決」で決めたことなんてひとつもないでしょ。あなたに家族が5人います、と。転職するかどうか多数決をとったりはしない。いろんな人の意見を聞いて、一人で決めるか、もしくは、奥さんなり旦那のみと「話し合って」決める、でしょ。

そう、人は、大事なことを多数決で決めたりしないのだ。多数決で決めるのは「今日は焼き肉にする?それとも中華?」みたいなですね、どーでもいいことだけです、普通。



ところが、この多数決ですべてを決めよう!というのが民主主義なんじゃないかと。


と考えると・・・すごく不完全というか、「てきと〜」な制度じゃない?民主主義って。

★★★

もっとつきつめれば、民主主義って「何が正しいか(まで)をも、多数決で決める制度」だと思う。それって「どんなもんだか」と思うよね。

やっぱさあ、正しいと思うことは「話し合う」「議論する」という行為を通して追求すべきではないかと思うのだ。多数決で決めるというのは、「議論と思考の放棄&諦め」だと思う。人間としての知恵の放棄であり諦観だ。あんまし前向きな感じがしない。何かというとすぐに「多数決にしよう!」と言い出す人がいるのだが・・・「脳に持久力がない」んだよな、と思って暗くなるだよ。



でもね、結局は「仕方ないから」多数決を使う。だって、1億人とかで話し合えないからね。そう、多数決って、そういうテクニカルな理由から民主主義の意思決定方法として採用されているのだ。将来テクノロジーがすんごい発展して、中国だって13億人で話し合えるもんね!みたいになったら、こういう方法(多数決)は、大事な場面では使われなくなるかもしれない。そういう「次善の策」ってのが民主主義的なるものの本質であって、決してそれは「目指すべきもの」でも「すばらしいもの」でもない。

あくまで「仕方ないから多数決」なのだ。そしてそれは、ちきりんに言わせれば「仕方ないから民主主義」だ。

★★★

多数決で何かを決めるというのはさ、すんごい「非効率」だよね。なぜなら現象ごとにYES/NOが決まるんだもの。一本筋の通った設計思想があって、それにそっていろんなことを判断していく、という論理的な帰結とはほど遠くなる。

「税金は少なくして欲しい」「社会サービスは充実させてほしい」とか、ってことになるでしょ。どーすりゃいいんだ?って感じです。ちきりんに言わせれば「よりよい生活がしたい」「格差社会は問題である」というのも同じだ。個別の問いかけにバラバラに「私はこうしたい!」という多数の声が反映させられては、全体として動かなくなっちゃう。

その上、多数決は「とるたびに結果が違う」でしょ。昨日はYesだった人が今日はNoでも全くかまわない。話し合いならそうはならないです。「お前、昨日はこういってただろ!」と言われます。意見が変わったなら、それがなぜなのかとか説明が必要になる。んだけど、多数決って「今日はYesな気分!」とかっていう気まぐれな判断の集積なのだ。だからとても不安定。

★★★

というわけで、あまりにも欠陥は多いのではあるが、「仕方ないので採用されている」多数決という方法が、この世の進歩を大きく阻害していると。そして、その「多数決」が「選挙」を含め民主主義の意思決定方法の大原則として採用とされているということが、民主主義の大きな限界というか、欠陥であると。そう思うちきりんでありました。はい。



ではでは