飛行機の中で読んだ雑誌記事について。
ひとつはモーニング娘。の看板スターだった後藤真希、いわゆるゴマキが弟の銅線窃盗事件で謹慎中に、パチンコ屋で、ジャージ姿で、立て膝で、ふかし煙草で一心不乱にパチンコしている写真を撮られたニュース。
その後に「ゴマキは当時から楽屋に灰皿が用意されてないと怒り狂っていた」とか、「トイレで喫煙してて浜崎あゆみと喧嘩になった」とかいう話が続々と出てきました。
彼女は今 22才。だから喫煙は問題ない。
でも・・・「楽屋に灰皿が無いと怒っていた」時は未成年のはず。
モーニング娘。のメンバーには、他にも何人か未成年喫煙が問題になり脱退した人がいます。煙草をくわえた写真が表に出た元メンバーも複数いる。
ってことは、当時(今も??)おそらくモー娘。の楽屋はどこでも、“モクモク”状態だったんだろうなと。
フジテレビの楽屋でも日テレの楽屋でもテレ朝の楽屋でも、そして「皆様の受信料」で製作されるNHKの番組の楽屋でも、彼女たちは“モクモク”していたと考えるのが自然だと思いません?
★★★
興味深いのは、それをテレビ局のエリート社員達、皆様のNHKの社員なども、基本的には“見て見ぬふり”をしてきたわけだよねってこと。
彼らは高校野球の出場予定高の選手が喫煙してたら、テレビニュースで何時間もそのことをとりあげ、あげくは甲子園出動辞退!に追い込むくらいの報道をするわけです。超エラソーに。
なのにその一方で、楽屋でモクモクしてるアイドルグループには文句を言わない。
だって・・そんなことに文句つけて「もうフジテレビには出ない」とか言われたら困るから?
テレビ局だけじゃないでしょ。
写真撮影やら取材やらコンサート密着やらをしていた多くの「大人の」芸能記者だって皆、知っていたはず。
もっといえばゴマキだけでもモー娘。だけでもない。
昔から“芸能人、未成年の喫煙”なんか問題にする人は、テレビ局にも芸能関係者にも誰もいなかった、ってことなのでは?
「人気絶頂のモー娘。につまらんこといって話をややこしくしたくない」という一介のサラリーマンの立場で、そんなこと問題にできないもんね?
★★★
別の週刊誌に「ショーケン」の記事がありました。ショーケンとは萩原健一さんですね。
記事によると今度、自叙伝を出すらしく、そこに若い頃の話が書いてあって、すんごいかっこいいわけだが、
その中に「あの頃は、朝からマリファナとビールでぐだぐだで、昼からはコカやって女抱いて、その合間に撮影してっていう生活だった」みたいなくだりがあるらしい。
彼は後に覚醒剤が理由で逮捕されてるんですけど、これも、そんな生活してたのだとしたら、彼が捕まるまでの間、テレビ局やドラマの制作スタッフが、そのことを知らないわけがないよね?
薬やってるよなあ、というのは分かってたのでは??
ショーケンだけじゃないです。
岩城滉一、研ナオコ、美川憲一、井上陽水、尾崎豊、元サザンのメンバーにドリカムのメンバー、大麻やら覚醒剤で捕まった芸能人はいっぱいいる。
こういう人達が、そういうことをやっていることを、当時のテレビ局関係者やマスコミ関係者が誰も知らなかったなんて考えにくくない?
むしろ、「みーんなわかってた。でも、誰もとめないし問題にしない」・・・そういう状態が芸能界では何十年も前から続いてきたのでは?
そして、逮捕されるのは「(薬の使用が周りの人だけでなく、通りすがりの人にも隠せないほどの)明らかに見かねる状態になった時」であり、
マスコミに話が漏れるのは、「その芸能人(グループ)が落ち目になった時」、という一般則も全く変わっていない。
だから今、ゴマキの喫煙写真が今、世の中にでる。
22才の時より、14才の時の喫煙の方が、明らかに問題であるにもかかわらず、写真が世間に出るのはモー娘。が人気絶頂の当時ではなく、このタイミングだってこと。
★★★
ショーケンの時代からモー娘。まで、芸能人の薬や未成年の喫煙に関して、なぜ関係者が目をつぶるのか?
「そんなん当然だろ? 自分の飯のネタを自分で潰してどーするよ?」という意見はわかる。けど、どーもそれだけではないんじゃないかな、とも思います。
私にはその根底に「エリート達の」「違うセグメントの人達への」「蔑視的無関心」があるんじゃないかと思えるんだよね。
テレビ局の人にとって芸能人ってのは、昔から、そして今も「そーゆー人種」だとみなされている。
麻薬とか平気でやっている人達だと。
未成年で煙草吸っていようと。
見境無く女をくわえ込んでいても。
たかだか子供のガキタレが周りの大人に汚い言葉で罵り、その傍若無人振りを遺憾なく発揮していても。
「どうせあいつらはそういう奴らだから」という、「だから、ほっとけよ」感があるんじゃないかな。
売れまくってお山の大将になり、誰もがヘコヘコへつらってくれるような立場になっても、マスコミ側には「芸能人は飯の種」というか、「商売のネタにすぎない」「使い捨てのコマ」的な感覚があり、
また、「こんな世界に入ってくるのは、どうせまともな奴じゃない」というベースとしての感覚がある。ように思える。
★★★
今はアイドルや女優に憧れる人はたくさんいるし、才能と外見がよければ芸能人を目指すのは普通の職業選択にみえる。
だけど、まだマスコミ側には彼らを“見世物”的に蔑視する考えがしっかり残ってる。
表面的には彼らを持ち上げ崇拝しおべっかをつかい、だから「少々のことは見逃す」という論理の振りをしながら、
実際には「どうでもいい奴ら」「人生を捨てている奴ら」が、「どんな大人になろうと」「薬で人生崩壊しようと」「どーでもいいじゃないか、俺らには関係ない世界の話だし」という。
そういう感覚の存在を感じるんだよね。。。
だから、楽屋で薬でロレロレになっている俳優がいても、どう考えてもまともな大人にはなれないだろうと思われる言動を繰り返すガキタレが煙草をスパスパやっていても、彼らにはまさに“どーでもいい”。
番組さえ無事に製作でき、そこそこの視聴率がとれたら、
一流大学から一流企業であるマスコミに就職して働いている、社会的認知と精神的な満足感の得られる「こっち側の世界で生きている俺たちが、
“あっち側の世界の人達”にとやかく口を出す必要はないと。
そんなアホみたいなことしなくても、あっちはあっちの世界なんだから、と。
30年前のショーケンの話と 2008年のゴマキの話。
この二つの記事がちきりんに感じさせたモノ。
それは、まともな“カタギの世界”と“そうではない世界”の断絶であり、絶望的なその距離感。
人は「違う世界」には口をださない。
そんな感じ。