不安で不満で苦しくて

ちきりん家には音楽再生機がないです。音楽はスカパー!で聴くんで。何種類かの音楽専門チャンネルだけでも十分な上にジャンル別に分かれたラジオチャンネルは何十もあり、いつでも好きなジャンルのが聴けます。というわけで、ちきりんにはこれで十分。

気に入った番組はDVDにためて繰り返し聞いたりもします。最近よく聴いているのが“甲斐バンド”。75年くらいで当時ボーカルの甲斐よしひろ氏が20才くらい。

リズムの方はレゲエ、ボサノバ、様々なエスニックな色合いも混じってて今聴いてもとてもポップに楽しめるのですが、詩の方がもう「まさに、あの時代」って感じで、時々打ちのめされます。

たとえば、漂泊者(アウトロー)という歌の一節。

誰か俺に愛をくれよ。
誰か俺に愛をくれ。
ひとりぼっちじゃ、
ひとりぼっちじゃ、
やりきれないさ。

すごいですよね。こんなストレートに淋しさとか苦しさを表現しちゃうわけね、って感じ。この前の犯人の書き込みにも似てません??

と思いつつ聴いてると、改めて認識するわけです。“二十歳くらいってのはこういう感情の季節”なのだと。不安で不満で苦しくて、ね。

★★★

なんで俺様を世間は認めないのだ?俺様はこんなにすげえのに!という気持ちと俺なんて全然価値のない存在なのだ。生きていてもなんの意味もない、という気持ち。

俺は絶対将来すごい人間になる!という確信と、そんなことはあり得ないという確信。

誰かにとってかけがえのない存在になりたいし、自分にとってかけがえのない存在の人に出会いたい、だってそのために生きているのだろ?という気持ちと、んなもんあるわけないじゃないか。そんなこと言ってるから俺はここから抜け出せないのだ、という気持ち。

周りはみんなアホだ!という気持ちと、一番アホなのは俺だ!という気持ち。



みたいなね、矛盾してるじゃん、みたいな感情を一人で悶々かつ延々と頭と心の中で戦わせてる時期だよね。15才〜25才くらい。

★★★

ちきりんが小学校5年生の時に読んで、18才まで「人生のバイブル!」としていた本は高野悦子さんの二十歳の原点って本ですが、彼女が“二十歳の原点”とした言葉は、「独りであること、未熟であること」。

その直後に自死してしまう彼女の、大人になるためのゼロ地点は“孤独”という標識のある地点だった、と。

ほんとの意味で大人になってしまうと、「人間なんてどうせ独り」ということと「誰一人として決して独りではない」という“ふたつの真実”を両方とも受け入れることができるようになる。

“未熟な時期”にはそんなの受け入れられないよね。欺瞞じゃん。矛盾じゃん。だまされてるじゃん。ずるいじゃん!という気がしちゃうでしょ。

★★★

坂口安吾の文庫本“暗い青春、魔の退屈”というに収められている“二十一”という自伝風小作品。

安吾は二十歳の頃、「悟りを開く」と決めて一日の睡眠を4時間に限定したりして仏門に入ろうとするのだが、その頃、家に出入りしている大工の棟梁の若い娘がいたいけであまりにかわいいので「母親に頼んで結婚させてもらおうか」「いや、それは仏門入る俺にはありえない道だろ?」みたいなことでぐだぐだと煩悶し、“睡眠不足のために”神経衰弱になっている。


若いって笑える。
ってか、とっても素敵な時期だと言うべきか。


いや、過ぎてみればね。

★★★

二十歳前後の頃に、なんの不安もなく現在と将来を信頼できて、なんの不満もなく自身と社会に満足しきっていられるとしたなら、実はそれはそんなに幸せなことではないかもよ、という、これまたそれ自体大いに矛盾に満ちたことが言えちゃう気もする。



不安で不満で苦しくて。



そういう時期をきちんと体験しておくと、結構ラッキーと思えるかも、です。後々ね。

そんじゃ。