官から民へ(前編)  その戦いの歴史

昔、日本史の授業だろうか。「官業払い下げによって財閥の基礎が形成された。」と習った記憶がある。維新をとげた明治政府は富国強兵のスローガンのもと、多くの基幹産業を国営事業として自ら手がけていたが、途中からその大半を民に払い下げている。

土佐の貧しい浪人であった岩崎弥太郎が、船舶、炭坑、造船所、金山などの払い下げを次々と受けることで三菱財閥を作りあげたストーリーは多くの人が知っているだろう。また現在の重厚長大系企業の多くがそのルーツを払い下げられた官業に持っている。八幡製鉄所が払い下げられて新日鐵に、長崎造船所が払い下げられて三菱重工に、など例はいくらでもある。

「官から民へ」というのは小泉元首相の言葉として記憶に新しいが、実際には武士の世界が終わった後、明治政府が強力な中央集権体制で作り上げた国の組織や官業を、順次民間に移管していく流れこそが近代日本の経済史でもあった。それ以降、この国での経済の流れは常に「官から民へ」だった。


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明治維新からほぼ80年、戦後間もない1949年に戦後最大のミステリーと言われる事件が起っている。その名は“下山事件”。国鉄の初代総裁に就任した下山定則氏が白昼に失踪し、未明に自らが総裁をつとめる国鉄の常磐線線路において貨物列車に轢断された事件だ。

未だ真相が不明のこの事件については多くの書籍が発行されているのでここで詳述はしないけれど、ちきりんが思いをはせるのは「国鉄」という組織の特殊性だ。

現在のJRは、国の事業から2段階で民営化されている。最初は政府に「鉄道省」という省庁が存在し、鉄道は国の一機関として保有、運営されていた。「国電」が「省線」と呼ばれていた時代だ。これが戦後すぐに日本国有鉄道としてまず政府から分離された。

下山氏は東大工学部から鉄道省に入った鉄道技師でいわゆる官僚だ。当時、新たに発足する日本の国有鉄道の初代総裁には、民間からの起用が検討され、近畿日本鉄道や阪急電鉄社長などが候補にあがったが実現していない。

戦時に軍需産業の要でもあった国鉄は、当時、戦後の経済混乱の中での復興期においても最も優先順位の高いインフラと位置づけられており、資金と資材の最優先配分機関だった。いわば国鉄は、その当時の日本において最大かつ最重要の「利権団体」だったのだ。

加えてGHQの指示で共産勢力と深く結びついた労働組合の解体に向けた大規模なリストラも予定されているなど、組織の内外は殺気だった混沌に包まれていた。

そんな組織の初代総裁となることは、命の危険を感じるようなリスクのある行為であり、取りざたされた民間経営者達が尻込みをしたのも無理はない。最後は鉄道省の官僚が自ら火中の栗を拾うこととなり、そして、実際に非業の死を遂げることになる。犯人は組織解体を阻止したいと考えた労組か、労組に責任を負わせたい者の謀略か、はたまたGHQが絡んで、など諸説あるが真相は未だ闇の中である。


その後長らく国有事業であった国鉄をJRへと民営化したのは、中曽根元首相だ。この時も大きな抵抗運動があり、様々な問題が起っている。郵政公社を民営化したのが小泉元首相ということと合わせて考えればわかりやすいが、これくらい大きな官業を民営化するのは、たかだか一年の任期しか首相でいられない人では実現不可能だ。安定した政権で、意固地なほどの信念をもつ強烈なリーダーシップが確立した時にだけ、大英断が実行に移される。


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JRが発足した1987年、もうひとつの国営事業が「完全民営化」を果たしている。
「日本の翼」日本航空だ。彼らはそれまでも株式会社ではあったけれども政府が株式を保有する国有会社であり、文字通り「日の丸を背負って飛ぶ」飛行機会社だった。

他の元国営企業と同様に、日本航空もこの国有数の強固な労組を抱え、そのためにリストラが思うように進められず長きにわたり業績低迷にあえいでいる。また運輸行政、大物政治家との癒着、社内政治や労使関係の極まりない複雑さは、様々な“闇”を生み出し、多くの人の人生がその闇に飲み込まれた。

脚色があるとはいえ、山崎豊子氏の最高傑作である「沈まぬ太陽」を読めば、この巨大な元国営航空会社のもつ利権の巨大さ、闇の深さ、魑魅魍魎は、下山事件が起こった頃の国鉄と質を一つにするものであると理解できるだろう。

元々国がもっている“官業”というものは、常にそれ自体が巨大な利権の“山”であり、無数の顔の見えない巧みな利害関係者達によって、狡猾かつ巧妙に操られるその微妙なバランスの上で成り立っている化け物なのだ。


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最もうまくいった官業民営化は電電公社ではないだろうか。(日本専売公社などもあるのだが、規模の点で同列でないと思われる。)

民営化は1985年。その数年前から民間(石川島播磨重工業)から真藤恒氏をトップに招いての民営化だ。電電公社だって他の官業組織と同様に労組はめちゃ強いし、利権の固まりだし、自民党の強固な票田組織だった。それでも他に比べれば「官から民へ」の転換がスムーズだったのは、より明確に「国際競争」が目前に見えていたからだろう。

未だに独占に近い鉄道や(新幹線を民間が開発するのは無理でしょ)、成田の発着枠さえ政府が抑えておけば国際競争のレベルを調整できる航空会社と異なり、通信の世界に関しては「日本の中だけで頑張る」では誰がみても“もたない”とわかっただろう。

世界的な通信の自由化、新技術の勃興、という避けがたい現実が誰の目にも見えていたために、「抵抗勢力」もおおっぴらに「電電公社の民営化反対」を叫ぶことが能わなかったのではないだろうか。

電電公社の時代、携帯電話の不存在はともかく、電話機は「黒のダイヤル式」の一種類しかなかった。電話機を作る会社は「決められていた」ので、メーカーが自由に作って競争して販売することさえできなかった。民営化が決まると、電電公社は「カラーの電話機」を売り出した。黒い電話機をプラスティック製のカラー樹脂で作っただけだ。

その後、自由化された後、ほぼすべての家電メーカーが電話機市場に参入した。留守番電話やファックス付き電話はすべてこの後に市場にでてきた商品だ。もっとも民営化のメリットが一般の人に見えやすいのもこの民営化であったかもしれない。


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明治以来続いている「官から民へ」の流れは平成になっても継続している。同じく利権の固まりと言われた日本道路公団の民営化は2005年だ。

この時も矢面にたった猪瀬直樹氏は多くの脅迫状を受け取っている。また「猪瀬氏はハイヤー代を何百万円分も使っている」など、“庶民の正義心(の仮面をかぶった嫉妬心)に訴える報道”がいくつか行われている。抵抗勢力が使う手は毎回ワンパターンだ。


そして今もいくつかの大きな官業組織の民営化がその途上だ。面前の山場は社会保険庁と郵政公社だろう。いずれも平成になってから手がつけられた後発組だ。

近年の「官から民」の流れは以前とは異なる困難さを伴っている。ひとつの理由は「社会の民主化」だ。明治の時代には官業払い下げで財閥がいくら利益を得ようと、一般人はそれを責める手立てを全く持っていなかった。庶民は選挙権さえ持たなかったし、新聞は経済界、政治家のための情報誌にすぎなかった。

中曽根氏の時代でも今よりは圧倒的にたやすかったであろう。日本航空や国鉄の民営化にあたり巨額の労組対策費、政治献金が乱れ飛んだ。しかし、それらを問題視する意識は今より圧倒的に低かったと思う。またこういった国家プロジェクトを指揮する人に「地下鉄で通勤しろ」というような、嫉みだか正義感だかわからないような“世論”は必ずしも多数派ではなかった。

時代は権力者同士の癒着の時代であり、大きな決断や判断には出所不明の巨額の金が動く時代だった。公共事業の競争入札という制度すら普及していなかった当時、手続き上の問題点を細かく洗い出そうなどという人達は存在しなかった。その中で盤石の政権基盤に支えられた中曽根氏がまさに清濁を併せ飲み、歴史のコマを一歩前に進めたのだ。



上記に書いた例を見ればわかるように「官業」というのは、利権であり、票田であり、政治の駆け引きそのものだ。「官業の民営化」において、“政治家がひとりも賄賂をもらいませんでした”とか、“労組の幹部が誰も金で買収されませんでした”、“どの企業も全く不当な利益を得ませんでした”みたいな絵空事はあり得ない。

これは高校の文化祭とは違うのだ。有象無象の妖怪が闊歩する魔界のような組織を、とにもかくにもまずは国から分離し、株式会社化し、最終的に民営化しなければならない。その指揮をとれる人は数代にひとりしか表われない強大な力を持つリーダーだけだ。


そのひとり、小泉元総理が退陣した後、3人の総理大臣を経ながら、歴史の大きな流れに抵抗しようとする旧守派の重鎮達が、民主化された社会の声を利用して時代を後ろに進めようと画策している。「官から民」に対する抵抗勢力がいかに粘り強い勢力であるか、よくわかる出来事だと思う。

官業民営化の際に組織の長となる経営者は、常に叩かれる運命にある。住友銀行の頭取として権世をふるった西川氏も今や姑息な狼藉者扱いだ。しかし上記のような歴史を見る限り、この仕事はそれほどの仕事なのだとわかるだろう。今は暗殺を心配する必要が(おそらく)ないだけでもマシと思うしかない。70歳という年齢でのあの激務と叩かれ方をみていると、過去のどの官業民営化でもそうであったように、今回もこの国家的大プロジェクトに寿命を捧げる人が要るのだと感じさせられる。


数十年後、元号も変わった世の中で、郵政公社も社会保険庁も上記の歴史のひとつとなるだろう。大きな流れの中で、私たちがどちらに進もうとしているか、見失ってはいけないと思うと同時に、これくらいの困難でこの流れがとどまることはないという確信が持てる。水は山から海に流れるのだ。


そんじゃーね。