日本企業の課題としてよく指摘される、「グローバル企業への脱皮」
素材メーカーから電子デバイスなど部品メーカー、さらに、工作機械、自動車や精密機器メーカーなど、日本には世界中に商品を輸出し、売上の半分が海外市場という企業も少なくありません。
しかし、これらの企業が「グローバル企業か?」と問われた時、自信をもって「もちろん!」と言えるでしょうか?
なかなかそうはいえませんよね。これはなぜなのでしょう? なぜ海外でも名の通った有名大企業さえ、世界からグローバル企業として認識されないのでしょう?
答えは、グローバル化しているのが「技術と商品」だけだから。反対にいえば「組織と人」が全くグローバル化していないからです。
日本人男性だけで構成される役員会、日本人で固めた世界各地の現地法人の責任者、日本の本社だけで行われる経営会議や研修、日本人だけに適用される給与テーブルや退職金制度・・・
たとえ世界中で商品を売っていても、たとえ技術が世界中で賞賛されていても、組織はかたくなに「日本の男性だけ」で運営される。これをグローバル企業と呼ぶ人はいません。
日本企業が世界市場に出る時と、欧米企業が世界に進出する時の方法は大きく異なります。
欧米企業は自社内に、世界各国にルーツをもつ社員を抱えているからです。移民や留学生を大量に受け入れている欧米先進国では、様々な国の人が暮らし、学んでいます。
そして企業は、優秀でさえあれば彼らを雇います。ビザ問題などハンディを乗り越えて欧米企業に雇われる移民や留学生は、普通のアメリカ人学生と比べてもとびきり優秀な場合が多い。
しかも彼らは、海外要員として雇われるわけではありません。その企業の基幹社員として雇われ、様々な経験を積みます。
そしてある日、その企業が海外進出を検討した際には、極めて質の高い現地インテリジェンスを提供できる人材となり、辞令でそういう仕事を担当することになったり、本人が自ら祖国での仕事を志願したりするわけです。
欧米企業は、世界各国で育った社員=当然に現地語が話せ、現地の慣習に無理なく溶け込める仲間を最初から組織の中に持っているのです。
さらに、進出国に詳しい人が社内にいなければ、外部から適任者を探してきて雇う場合もあります。
日本企業はどうでしょう?
彼らは世界のどこに行くにも、“自分達で”出て行きます。
自分達とは日本人男性のことです。北米に、欧州に、中国に、中東に、まずは仮事務所を開き、次第に規模を拡大して駐在員事務所とし、さらに数年を経て、支店や現地法人に昇格させます。
時には 10年、20年をかけて、海外に(日本人によって)拠点を築くのです。もちろん相当の規模になるまで、それらの拠点のトップはすべて日本人です。
現法が大きくなると若手社員を送り込むのですが、送り込まれるのも、もちろん日本人男性です。
若手に海外で働く体験をさせ、時には半年から一年間、現地で語学学校に通わせる。日本企業にとって「世界に進出する」とは、「日本人男性を外国に送り込むこと」を意味しています。
ただ、この方法はお金がかかります。自社商品を買ってくれる国が 10カ国あれば、それぞれの国に事務所が必要となります。しかし、相当規模の大企業でさえ、アフリカの各国に自前の事務所を置くのは容易ではありません。
そこで、日本には“総合商社”という業態が発展しました。
各メーカーが皆それぞれにバンコクやジャカルタやマニラに人を送り込むのは効率が悪い。じゃあ、○○物産や△△商事が、これらの都市に事務所を開き、各企業はそこを通して商売すればよい、というわけです。
つまり総合商社は、「輸出メーカーの合同・海外営業事務所」であり、「輸入企業の共同買い付け事務所」です。彼等は、日本企業から海外支店機能のアウトソーシングを請け負って大きくなりました。
欧米には日本の総合商社のような業態は発達していません。そりゃあそうですよね。彼らはアフリカに進出するならアフリカ人社員にその仕事を任せ、インドネシア市場を開拓するならインドネシアで責任者を雇おうと考えるからです。
でも日本企業には、「日本人以外は信じない」という大原則がありますから、下っ端のスタッフは現地人でもいいけれど、責任者は日本人でなければならない。
だから、自社で人を出せないなら、別の日本企業に委託するしかない。それが商社です。
先日紹介した二冊の本、『グラミンフォンの奇跡』と『ブルーセーター』の話をしましょう。
バングラディッシュでグラミンフォンを立ち上げたのは、アメリカに留学しそのままアメリカで働いていたバングラディッシュ人です。一方のブルーセーターの主人公はアメリカ生まれ、アメリカ育ちの白人アメリカ女性。
後者の本には、彼女がアフリカ人に受け入れてもらうまでの苦労、彼女自身がアフリカ人や社会を理解することの難しさの記述に大量のページが割かれています。彼女の苦労の3分の1から半分は、彼女がアフリカ出身の黒人であれば経験しなかったものと思われます。
一方、自らの祖国でグラミンフォンを創設したバングラディッシュ人の起業家は、少なくともそのタイプの困難には直面していません。
この差が、海外に進出しようとする欧米企業と日本企業の間にも存在します。
現地人のリーダーに任せればごくごく容易にできることも、日本から行った日本人がやろうとすると桁違いのコストや時間がかかることがいくらでもあるんです。
日本の総合商社には、一流大学をでて厳しい就職戦線を勝ち残った精鋭達が集まっているでしょう。しかし今や海外市場とは、アメリカやイギリスの事ではありません。それは中東でありアフリカであり中国でありインドでありブラジルです。
30歳に近くなってから、言語も文化も全く異なる国に送り込まれ、そこからえっちらおっちら「海外市場について勉強しています!」的な日本人駐在員の出る幕が本当にあるのでしょうか?
しかも、欧米ならともかく、アフリカの国に 10年単位で居住する覚悟が、彼らに(彼らの家族に)あるのかな? 数年単位で交代などさせていたら、それこそ全くモノにならないのですけど・・。
「世界で格闘する日本人ビジネスマン」的なドキュメンタリー番組を作るなら、現地で苦労する日本人駐在員とやらも、悪くないでしょう。しかし、グローバル企業となるための国際展開に関して、すべてを日本人男性でやろうとするのは、本当に最も適切な方法でしょうか?
現地で生まれ育った上、欧米先進国で高等教育と実務経験を積んだ社員と、30代半ば以降に初めてその国に駐在する日本の商社マンでは、「その国でのビジネスポテンシャルを判断するタイミング」において、また「何かトラブルが起ったり、引き際を検討する際の判断」において、大きな(時に致命的な)差が出たりしませんか?
もうずっと昔、アジアや南米、アフリカを旅した時、モロッコの迷路の奥にある薄暗い小売店でニベアやネスレの商品を見つけて驚きました。南米のジャングルの中の国境事務所脇にある売店の棚に、ユニリーバやナビスコの商品を見つけた時も同様です。「こんなところにまで商品を届けるなんてすごすぎる・・」と思いました。しかもそれらの商品のメーカーはいつも同じでした。
今から考えればよくわかります。こういった企業は、そもそも自分の国(欧米)に留学してきた人、移民でやってきた人の二世や三世を、自分の国の人と同じように雇用し、訓練し、彼等に事業を任せています。
だから、アフリカの○○という国がそろそろ経済的に商売になるレベルになってきたとか、どこどこの国はまだ内戦中ではあるけど、こういう商品へのニーズがすごく高まってるとか、そういう情報がいち早く手に入るし、
じゃあ実際に行ってみるかとなった際にも、「アメリカ生まれ・アメリカ育ちのアメリカ人」を送り込んで市場調査をやるより、よほど迅速に、正確に、リスクをとった判断ができるのです。
★★★
これからの時代、「すべての重要なビジネス判断は日本人で行う。そのために英語ができる人材を採用する。採用した日本人に海外経験を積ませる」などと悠長なことを言っていては、グローバル企業と認知されることはないでしょう。
グローバリゼーションとは、日本人に英語を習わせることではありません。それは、世界の人を受け入れること。世界の多様性を受け入れることを言うのです。
消費財メーカーが世界にでていきたいのなら、世界の消費人口と同じ割合で多様な社員を雇う必要があります。
その社員は、権限ももたず出世の可能性もない現地担当者ではありません。経営とビジネスのリーダーシップ・シェア、マネジメント・シェアを、世界の消費人口と同じ割合にする必要があるってことなんです。
さらにいえば、日本企業がグローバル企業に脱皮できない理由は語学力ではなく、「自分達とちょっとでも違う者は意思決定グループメンバーには入れたくない」というその偏狭さにあります。
日本企業はよく、「自分が主人、外人は使用人」という形で現地採用をやってますが、「使用人として働きたい優秀な人」は存在しません。だから彼らは、いつまでたっても海外で一流の人材を雇えない。
その上、せっかく外国籍社員を雇っても彼らの価値感は一切受け入れず、日本的年功序列や賃金カーブを押しつけ「イヤなら出ていけ」とか「郷にいれば郷に従え」などと、アホみたいなことを言っている。
それって、「自分達と同化する気がないなら、仲間には入れない!」という宣言であり、まさに「多様性の拒絶」に他なりません。
結局のところ、多様性を受け入れるのは、彼等のためではなく自分のためであり、そのために努力する必要があるのは自分の方なのだということが理解できていないのでしょう。
多様性を受け入れる理由は人権問題でもCSR(社会貢献活動)でもありません。それは成長のために必要不可欠な戦略なのです。
社員の英語研修なんていくらやってもグローバル企業にはなれません。
「多様な価値観、自分達とは異なる思考や経験をもつ人を、意思決定や組織運営を共に行う仲間として迎え入れること」
それができないかぎり無理ざんす。