脱“トランジスタ売り”の発想

さて、先日のエントリの続きです。

前回は、「東京が目指すべきは、ロンドンやニューヨークのような伝統的な国際都市」であって、「シンガポールやドバイのような、戦略的な国際都市ではない」と書きました。

しかし、そのいずれの方向を目指すとしても、国際都市を目指すなら必須となる考え方があります。それは、「世界を受け入れる」という覚悟です。


高度成長期の日本にとって、国際化とは「輸出をすること」でした。

繊維を輸出し、テレビを輸出し、自動車を輸出する。その輸出比率の高い企業が「国際的な企業である」と考えられていたのです。てか、今もそう思っている人は多そうです。


しかしながら、新卒でその企業に入った日本人の男性だけで会社を経営し、日本人社員と非日本人社員を全く別の人事制度で処遇し続ける企業について、たとえ製品の輸出比率が高くても、世界はそれを「国際的な企業だ」とは考えません。

それは単に「輸出比率の高い日本企業」に過ぎないのです。


そういえば最近のお役所は、クールジャパンの名のもとに、日本のアニメを世界に輸出する、日本食を世界に広げると大騒ぎしていますが、これも完全に「輸出を増やそう」という発想です。

カメラやテレビが売れなくなったから、アニメや日本の食を「売りに行きたい」というだけです。

それらは、たとえば、世界中のアニメ好きが東京に集結するような拠点を作ろうとか、そのための学校を作りやすい制度に変えたり、特別な在留許可を与えたりといった発想や、世界の和食料理人が東京で修業ができるようなワーキングビザを作ろうという発想とは真逆のものです。


高度成長時代を夢見る人たちにとって国際化とは、「英語を話す日本人が、海外に行って日本製品を売り、たくさんの外貨を稼ぐこと」に過ぎないのです。

しかし、いつまでも「リュックサックに日本製のトランジスタを詰めて海外に売りに行く」などという考えのままでは、東京が国際都市になるなんてありえません。


ニューヨークもロンドンも、シンガポールもドバイも、そこに住む人、そこで働く人、そこで学ぶ人、そこで遊ぶ人自体が、そして、そこで活動する企業や投資家(&投資マネー)自体が、世界中から集まってきているのです。

彼らは何かを「輸出して」国際都市になったのではありません。

そうではなく、世界中から人や企業やお金(投資)を受け入れることで国際都市になったのです。


街中で買い物をしているときに耳に入る言語の多様性こそが、
職場における同僚の出身国の多様さこそが、
学校における(生徒はもちろん)教師の国籍の多様さや、
不動産オーナーの国籍の多様さこそが、その証となっているのです。


「日本製品をたくさん売って外貨を稼ごう。それが国際化だ!」と考えている限り、東京が、国際都市として競争力を高めることはできないでしょう。


今求められているのは、脱・トランジスタ売りの発想です。
目指すべきは輸出拡大による“黒字幅の拡大”ではなく、トーキョーを“聖地”にすることのはず。
そしてそのために必要なのが、「世界を受け入れる」という覚悟なのです。


そんじゃーね!