堀井憲一郎さんの「若者殺しの時代」を読んだ。
堀井さんといえば、文春に連載の“ずんずん調査”というコラムが人気で、ちきりんも大好きだ。
でも彼の本を読んだのは初めてで、ずんずん調査の方は“おちゃらけ感たっぷり”なのに、この本はらしくない怖いタイトルで意外だった。
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内容は、ずんずん調査同様の独自調査の結果を元に 1980年代から 1990年代がどういう時代であったか、その時代に“若者”がどう扱われてきたかを分析したものだ。
ちきりんにとって 1980年というのは人生で最も大きな変化があった 10年だ。
80年代の始まりには地方の中堅都市で旧来型の三世帯家族の中で暮らしていた。毎朝遅刻気味だったので、車がびゅんびゅん走る道の脇をチャリンコで疾走していた。
それが東京で一人暮らしをする大学生となり、80年代が終わる頃にはバブル絶頂期の金融業界で働いていた。
90年代にはアメリカに留学し、帰国後は自分的にはこれ以上はありえない、というレベルまで働いた。
私はよく「自分の人生が始まったのは 18歳の時」という言い方をするのだけど、生物としてではなく社会的な生き物としては自分の人生は 80年代に始まったと思う。
著者は 1980年代に起ったこと、その後の 90年代にそれがどう引き継がれたかを、鋭い視点とユニークな表現で書き記している。
ちきりん自身、身に覚えのある事象も多い。でもこの本を読むまで、その 20年がこんな時代だったとは明示的に理解できていないかった。
この時代ちきりんは仕事にかけている時間が長すぎて、世の中がどうなっているのか観察したり考えたりする十分な時間がもてなかった。
また金融業界にいると、世の中の変化の大半は株価だの金利だのという指標で表されるように錯覚してしまう。この本に書いてあるように 90年代はトレンディドラマの時代なのだけど、私自身はそれらもほとんど見ていない。
留学していたり海外出張が多かったり、日本に居る時でも夜の 9時からのドラマさえみられない時間まで働いていた。つまり社会で何が起っているのか、よくわかっていなかった。
この本で堀井さんが分析している社会の側面は、私の体験と巧い具合に“補完的”だ。
バブルの 80年代と失われた 90年を、私は“金融”と“グローバル化”の側面から体験していた。
ちなみに、そのふたつの視点はこの本には全くでてこない。でてくるのは“若者の生態”と“社会風俗面での変化”だ。
というわけで、私にはこの本はものすごくおもしろかった。
珍しく 3回ほど通して読んでみた。つまりどういう時代だったの? と肌感覚で理解したかったから。
引用しているとキリがないので書かないが、いろいろ“目鱗”のことも多くて、とても勉強になった。
下記にあげたように、私は戦後 1945年以降の社会の動きを俯瞰的に捉えるのが大好きだ。でもまだまだわかっていないことも多い。いろいろ勉強していきたい。
<関連してるかも過去エントリ>
・・経済規模指標と“豊かさ実感”の乖離
・・20年を彷徨う