携帯ゲーム業界の深刻な問題を積極的に報道できないマスメディア 提供:木走日記
上の記事を読んで、確かに携帯ゲームのテレビCMやたらと増えてるよね、とあらためて思った。特定業界のCMが一定以上に増えてくると、「なんか始まってるなー」って感じる。
一時期、消費者金融のCMがテレビをジャックしてた時期があった。感覚的には今の携帯ゲームのCMより圧倒的に多かった。(一社当たりは同じかもしれない。消費者金融は会社数が多かったから)
当時はネットよりテレビをつけている時間が長かったので余計そう感じたのかもしれない。夜中じゅう、消費者金融のCMでおねえちゃんが網タイツの足を振り上げていた。
ビジネス嗅覚がとても鋭い知人が、「急成長してる会社で無茶をやってない会社なんてない」と言っていた。ああそうだよね、と思った。どんなに善人面している会社でもビジネスでも、一定以上の勢いで伸びている時というのは、一種「いっちゃってる」状態になっている。
特定の人やグッズのブームも同じ。テレビで毎日それを見る、どのチャンネルを回してもその人がでてくる、という状態は、“おんなじ業界のCMばっかり”というのと同じで、“ちょいと異常な域”に入ってる。本人も周囲の人もそんなことは百も承知だ。
バブル期の株式市場だって同じだった。すべての番組が株価について語ってた。ニュースや経済番組はもちろん、バラエティまで株の話、お笑いタレントまで投資話。
こういう“波”がくると、マスコミなんてひとたまりもない。勢いのあるモノというのは、巨額のお金を動かす。お金だけじゃない。常に興奮と新規性を求めている、鋭い嗅覚と腕力をあわせもった人の心をわしづかみにして振り回す。
そしてものすごい勢いで、お金とチャンスとリスクと有象無象の人たちを怒涛のように巻き込んで動き始める。当然に犠牲者もでる。だけどいったんそういう状態に入ったら誰にも止められない。ブレーキなんて利かない。そういう“域”なんです。
スポンサーの広告費で食べているテレビや(同じ穴の狢の)新聞は、アクセラレーターにはなりえても批判主体になんてなれるはずがない。というより、別にそんなことを期待する必要もない。
こういう動きが全くない社会とか、そもそもありえない。市場と言うのは次々と「尋常じゃないエネルギーをもったもの」を求めている。それらはいくつもの候補の中から突然頭角を現し、瞬く間に成長し、一気に世間の耳目を独占し、あれよあれよという間に狂気を得て、これまた不可避である終幕の日に向かって爆走する。
史上最高の利益に沸いていたリーマンショック前の金融界も、異常な価格につりあがったイギリスやスペインの不動産市場も、ネットバブルの時期のシリコンバレーも同じだろう。
こういうのは賢い人たちが知恵をだして避けられる過ちでも、あってはならない混沌でもない。むしろ私達の生きる世の中に不可避で不可欠な“ある種の熱病”だと思う。私達は常に“熱病”を探してる。
批判するのもいいし傍観するのもいい。遠くに眺めながら避けて歩くのもいい。もちろん、巻き込まれてみてもいいし、積極的に足を踏み入れてもいい。主役になってみたいなら飛び込んでみるのもいいかもしれない。
エネルギーにはいいとか悪いとかない。勢いとエネルギーレベルの高いものにこそ“生の実感”がある。やけどしたり怪我したりぼこぼこに叩かれたり逮捕されたりするかもしれないけど、一度でもそういう世界を体感したら、人生は“安全な小道”からみえるものとは全く違ったものに見えてくる。
そんじゃーね。