今回のユーロ危機でちきりんが再確認したのが、「通貨制度」というのはそもそも虚構のシステムだという伝統的な事実です。
その昔、小石を丸く削って通貨として使い始めた頃から今まで、通貨そのものには本質的な価値はありません。当時の通貨である丸い石も人々の空腹を満たしてはくれなかったし、現在の「通帳に印字された数字」「お札という紙に印字された模様」にも、なんの本質的な価値もありません。
通貨制度というのは、お札にしろコインにしろ、国家の権威が「これは価値があるものだ。みんな、そう信じるように!」と宣言し、一般人全員がそれを信じることによって成り立っている虚構のシステムです。
金貨や銀貨が使われていた時代や、金兌換制度の下ではもうすこし実質的な意味があったのか?というと、それも微妙なところです。金だって取引所や政府の独占管理などの制度的な裏付けなしに価値が規定されるものではありませんでした。虚構の制度という意味では同じに思えます。
最近、メディアでは「ユーロ崩壊」という言葉がよく使われています。これはいったいどういう意味なんでしょう?
ユーロ暴落、なら意味は分かります。1ドル、もしくは100円が、1万ユーロになる、というようなことが起これば、それはまさに「ユーロ暴落」です。しかし、そのユーロという通貨がドイツでもフランスでもイタリアでも使えます、という限り、暴落には一定の歯止めがかかります。
それらの国でユーロという通貨をもって商品やサービス、さらには土地や企業が買えるのであれば、それらの実物資産を「ぜひ買いたい!」と思う人がでてきて、それを買うためにユーロを調達することになりますから、そんなめちゃな暴落は起こりえません。
北朝鮮やミャンマーの通貨が1ドル、何万ウォン、何百万チャットになりえるのは、北朝鮮やミャンマーに、海外の人が欲しいと思う貴重な実物資産がほとんどないからです。(唯一海外の人が関心を示す土地は、規制により購入不可能です。)
一方、ユーロの国々には世界の人々が欲しがる資産がいくらでもあります。それらの国の人がユーロを信じている限り(=ユーロと交換に商品や資産を売ることを受け入れている限り)、様々なノイズはあるにせよ、為替レートはこれらの実物資産が平価する範囲でしか暴落しないと考えるのが普通でしょう。
では、(ユーロ暴落ではなく)「ユーロ崩壊」とは何でしょう?どこかの国がユーロを離脱することでしょうか?
ギリシャがユーロの使用を止めてドラクマを復活させる、と決めたとしましょう。その実現には物理的にお札を印刷して、交換して・・・、というだけでも2年近くはかかるでしょう。今から2年かけて、ギリシャがユーロの使用をやめ、ドラクマに戻しました。
これが「ユーロ崩壊」でしょうか?
ちきりん的にはこれは「ユーロ加盟国の減少」「ユーロ圏の縮小」にしか見えません。
じゃあドイツやフランスを含め、どの国もユーロを使わなくなったら「ユーロ崩壊」でしょうか?それこそかなりの準備期間がかかりそうです。今ソレを決めて、3年から5年かけ、どの国も昔の通貨を復活させたとしましょう。
これが「ユーロ崩壊」?
そう言ってもいいですが、価値観を除いて言えば「ユーロの廃止」「ユーロの消滅」でもいいはずです。
だから、「ユーロ崩壊」とはいったい何なのか?
多くの人が心配しているのは、「ギリシャなどの国債がデフォルトし、それを保有している欧州の金融機関が多額の損失を被り、金融機関の世界的な連鎖倒産が起こること」でしょう。
これはたしかに大きなリスクです。リーマンショックに匹敵する、もしくは、より大きな金融危機が世界を包み込むことになります。どこの財政当局にもこれらの金融機関を救済する余力のない今、世界中の人がそういった事態を心配するのは無理はないし、ちきりんも不安に思います。
でもそれは「世界的な金融危機」ではありますが、「ユーロ崩壊」ではありません。崩壊するのは「国際金融システム」なのです。
別の言い方をすれば、ユーロという制度が崩壊するかどうかは、みんなが「ユーロ」という通貨をいつまで信頼するか?ということに依存しているのです。ドイツやフランスの街角で、「ユーロ札をだせばレストランで食事ができる」、「ユーロ札をだせば、ブランド品のカバンや洋服が買える」限り、ユーロ崩壊ではありません。
たとえばパリでレストランに入ろうとしたら、入り口に「支払いはドル、ポンド、円のみで受け付けます」と書いてあるようになったら、それがまさに「ユーロ崩壊」です。欧州の国の人達が自国の銀行口座からユーロ貯金を全部引出し、ドルやポンドや円、さらに実物資産に変換(購入)しようと走ったら、それが「ユーロ崩壊」です。
つまり、一般の人達が広く、その通貨を信任し続けるかどうか、これが通貨制度が維持されるか、崩壊するかの境目です。「虚構のシステム」は、みんながそれを信じている間は「ホンモノ」であり続けられるのです。
ちきりんは思います。日本が少々経済停滞していても、財政赤字があまりに大きくても、高齢化で未来も厳しくても、日本人が「円」を強く信任している限り、円の価値は常に高く評価されるでしょう。海外からみても「日本人が円という通貨制度を強固に信じている」ことは、よく見えています。円高の本質的な理由はそこにあるのです。
円もユーロも(もちろんドルも)虚構のシステムです。その違いは「みながどれほどその虚構を信じているか?」というレベルの差だけです。そして円は今、どの通貨よりも「信じられている虚構」とさえ言える状態です。
このように、通貨制度の成立は「人々がその虚構を信じているかどうか」に依存しており、今問われているのは、“欧州統合通貨ユーロ”という虚構システムのひとつを、私たちが(欧州の人達が)いつまで信じるか、ということなのです。
そんじゃーね。