ニュースで、ある重厚長大メーカーが熟練技術者の不足に頭を痛めている、と報道されていました。
団塊世代の定年退職が始まる中、社内の熟練技術者は 50代以上ばかりで、中堅以下の技術者が全くいない。
原因は彼らが新卒だった 20年前に業界全体が大不況に見舞われていたため、数年にわたり採用を抑制したから、とのことでした。
この「○年前に大不況でした。だから新卒採用をしませんでした」というのもよく聞く話なのですが、どう考えても合理的な判断とは思えませんよね。
そもそも新人の人件費なんて微々たるものです。“今”不況だからといって、“今”採用を抑制してもコスト削減面でのメリットは極めて限定的です。
一方、“ 40年後まで不況が続く”と考えていたのでない限り、「新卒採用を極端に抑制すれば、長期的には人手不足になる」とわかっていたはず。
つまり不況時に新卒採用数を抑制するというのは、“メリットが極めて小さく、ほぼ確実にデメリットのある方法”です。
反対に、多くの企業がバブル時など好景気の時に大量の新卒学生を採用しました。
80年代後半から 91年までに採用された彼等は今“バブル世代”と言われ、給与も昇格機会も抑えられ、なにかあれば最初にリストラのターゲットにされています。
原因は当時の、“今”好況だから、“今”新卒採用を増やす、いう判断にあったわけですが、好況時に新入社員なんて雇ってもほとんど仕事の助けになりません。
それどころか好況で人手不足なのに、新人教育のために多くのベテランの時間がくわれてしまいます。
更に、好況が 20〜 40年続くのでない限り将来必ず人が余り、人件費コストが重くのしかかることもわかっていたはず。
つまりここでも“短期的にほとんどメリットがなく、長期的には大きなリスクがある方策”をどの企業も選んでいるのです。
経営的にもっとも合理的な方策は、不況の場合はその時点で「給与が高いのに、価値のない人」を解雇することです。
年功序列組織では、50代の人の給与は新人の 4倍はあるでしょう。新人採用抑制でコストを削減しようとすると「採用数の 8割カット」が必要な場合でも、中高年の解雇なら 4分の 1の人数で済みます。
新卒採用を続けてもたいしたコストはかからないし、不況で皆が暇な時期なら新人育成にも時間がかけられます。
反対に好況で人手がたりないなら、新卒学生ではなく中途採用で即戦力の人を雇うのが最も合理的です。
40代の即戦力を雇えば好況の間にすぐに戦力になるし、彼らはその後 10〜 20年で定年を迎えるので、新卒学生のように“ 40年雇い続ける”必要もありません。どう考えてもこの方が理にかなってる、と思います。
でも、実際には(大企業は)こういう方法はとれないのです。
なぜなら日本では法的に(判例により)、社員の解雇は“そうしないと倒産する”レベルにならないとできないし、“新人採用をやめ、非正規雇用者を切ってからしか、社員の解雇はできない”とされているからです。
そして、キャリア途中の人が解雇されないこの国では、他国のような層の厚い“中高年の人材市場”が形成されていません。だから好況時に即戦力を採用したいと思っても、採用したいレベルの人が労働マーケットにいないのです。
そうなると企業の人員計画や人員調整はももっぱら“新卒採用市場”で行わざるを得なくなります。
上で書いたように、実際にはそんなところで調整するなんて全く非合理的なやりかたなのに、それしか方法がないのです。
★★★
今、中堅以上の企業や公務員の生涯賃金は 3億円と言われます。
給与以外を含めて企業側からみる人件費コストはその倍といわれており、だとすると 6億円です。終身雇用を前提とすると、“ 100人の新卒学生を採用するのは 600億円の新規投資をする”ことを意味します。
それだけあれば自動車工場がひとつ建てられるし、小さな企業がひとつ買収できるでしょう。
過去10年間、100人ずつ採用した大企業なら 10年間で 6000億円以上の投資です。
生涯賃金の高い大企業では 1兆円の投資といってもいいかもしれません。
こんなリスクをとっている企業が“安定している企業”と呼ばれているのは本当に皮肉なことです。
このように、終身雇用を前提とした新卒採用の調節だけで人件費を管理することはとても非合理だし、しかも巨額の投資リスクの負担を強いられます。
それにもかかわらず、合理的な方法が司法判断によって閉ざされている日本。最高裁が“解雇規制”として日本企業に強いるこの“非合理な行動のコスト”、それにより押しつけられた損害は一体誰が負担しているのでしょう?
無駄なこと、非効率なこと、論理的におかしなことをやらされると、かならず損害がでます。
最も巧くやった場合にくらべて、成果は小さくなってしまいます。
つまり、新卒採用だけで人員調整をするという非合理な方法論のコストは、あからさまには見えないけれど誰かが負担しています。
被害を受けていると思われるのは、
(1)企業・・・本来もっと高い収益が上げられたはず(株主はより多くを得られたはず)
(2)有能な社員・・本来もっと高い給与がもらえたはず
(3)若者・・・本来もっと雇用される機会に恵まれていたはず
(4)弱者・・・(企業業績がよく、より多くの人が雇用されていれば)本来もっと社会福祉の原資となる税金が多かったはず
などですが、(1) の株主は、日本企業の株を売って海外の企業の株を買えばいいし、(2) の有能な社員も海外や外資系企業で働くという逃げ道があります。しかし、(3) の若者や (4) の弱者は逃げ道がありません。
「終身雇用がいいか、悪いか」という議論は、不完全な議論です。
なんの犠牲も払わずに終身雇用ができているならそれでもいいでしょう。しかし実際には日本社会全体で、この制度の維持のために多大なコストを払っています。
そして、それらのコストの多くは雇用機会が得られない若者や、社会の弱者が負担させられています。新卒を正社員採用し、定年まで解雇できないという終身雇用制度は、そういう人達の犠牲のもとに維持されているのです。
いいかえれば、終身雇用制度を維持することが個別企業の自由であるかのように考えるのは間違っているということです。
私たちは社会全体でこの非合理な制度のコストを支払っているのです。
今まず必要なのは、こういった“終身雇用制度の維持コスト”という概念や視点をもつことではないでしょうか。
さらに解雇規制を確固たるものとして維持している最高裁の判事の方には、自分達の判断によって、どれだけの損害をこの国の“次世代”の人達や社会的弱者に押しつけているか、なんとか早めに理解していただきたいものだと思います。