fair value と market value

Fair value とMarket valueという言葉があります。

Market valueは「市場価値」、Fair valueは「公正な価値」か「正当な価値」でしょうか。Market priceとFair priceとも言えます。

バブルの頃、土地の売買はMarket priceに基づいて行われていました。ある土地を「明日 100億円で買う」という人がたくさんいるという理由で、今日「 90億円で買いたい!」という人が現れるのです。

明日「 100億円で買いたい!」という人が現れる理由は、「 1週間後には 110億円で買う!」という人が現れると確信しているからです。

こうして市場価格はどんどん上がっていきました。


実際には、その土地にマンションを建てた場合、5000万円で売れる部屋を 100戸作るのが設計上ぎりぎりだったかもしれません。

その場合、販売総額は 50億円ですから、建築費を考えれば土地の「正当な価格」は 50億円以下です。

賃貸マンションやオフィスビルを作った場合でも、将来までの家賃の総額が正当な価格の上限になるはずです。こういう価格は Fair priceと言えます。

バブルの頃は、土地売買をする人だけでなく、彼らに融資をする銀行も「この土地を 100億円で買う人がたくさんいる」という理由で、その土地を 100億円と評価し、それを担保に 100億円まで融資をしました。

銀行は「市場価格」に基づいて融資をしたわけです。あの頃はみんな「土地の値段は上がり続ける」と信じ、土地の利用価値など全く気にしていなかったのです。

ところが、ある日突然「明日 100億円で買うよ」と言っていた人がいなくなりました。

政府の方針転換により、不動産取引のために貸せるお金の総量に制限が課されたためです。そして、不動産は一気に売れなくなりました。

この時に起こったことは、土地の価格が「市場価格」から「正当な価格」のレベルまで低下する、という現象でした。

100億円の市場価格がついていた土地が、Fair valueである 50億円以下でしか売れなくなり、その土地を 100億円で買った会社は倒産、その企業に融資をしていた銀行は、担保の土地を処分しても借金が回収できず不良債権を抱えました。

この場合、市場価格は一気に下がりましたが、正当な価格の方は大きくは変わっていません。

バブル崩壊とは「市場価格の下落により、ふたつの価格の乖離が一気に縮小した現象」ということもできるし、「土地のプライシング方法が市場価格から公正な価格に変わった」のだとも言えます。


Market priceで買うべきか、Fair priceで買うべきかという議論は、企業買収の際の株価のプライシングにおいても起こります。

A社の株式の過半数を買って買収しようという場合、「親会社やその会社の経営陣が、高値で買い戻してくれるだろう」と思えば、彼らが払えそうな価格の少しだけ下の価格で買えばいいということになります。これが市場価格です。

しかし、企業を買収した後にその事業を運営していきたいなら、「いったい将来にわたっていくらのキャッシュフローが得られるか?」ということを計算し、その価格以下で買わないと投資が回収できません。

つまり「売り抜ける気か?」それとも「経営しようとしているのか?」によって、最初に買い占めを始める時の“妥当な価格”は大きく変わってきます。

目的によって「市場価格と公正な価格のどちらで買うべきか」は異なるのです。


★★★


市場価格は何の分野でもすぐに変わります。

コレクターグッズのオークションでも、そのアイテムが流行っている間はやたら高値が付きますが、人気がなくなると一気に暴落します。

一方で正当な価格は(ある程度変動はしますが)そんな急激には変わりません。テレホンカードや切手であれば、公正な価格は明記されています。

また資本主義国では大半の仕事の給与は、その仕事の本質的な価値とは関係がありません。
それらは需給で決まってます。

需要が高いのにスキルや経験がある人が少ない分野では報酬は高くなりますが、それらが「他の仕事より価値が高いかどうか」はわかりません。

したがって、市場価格に基づく給与が公正な価値に基づく給与より何倍も高いという業界で働いていると、何かの拍子に市場価格が暴落し、公正な価値に収束してしまうこともありえます。


Fair valueとMarket valueは、「市場が効率的であれば」理論的には同一になるはずなのですが、、実際には市場が完全に効率化するなどということはありえません。

つまり現実の世の中では、「モノの価格は常に二つある」のです。そして私たち一人一人は、「市場価格と正当な価格の二つのどちらの価格で売るのか? 買うのか?」という選択肢を常に突きつけられ、判断しながら生活しているのです。


★★★


ところで多くの人は、教育は非常に投資効率がよいと考えています。

しかし本当にそうでしょうか? たとえばアメリカのビジネススクールの授業料は、過去 10年から 20年の間に高騰しました。

ビジネススクール側にしてみれば、それでもまったく問題がありません。

なぜなら、今の値段(1年間の学費が 400万円程度、2年のプログラムなら授業料だけで 800万円)でも世界中に「その学位をその値段で買いたい」人が溢れているからです。この価格は明らかに「市場価格」です。

では、今、アメリカのビジネススクールに行くことの「公正な価値」はいったいいくらなのでしょう?

それは、そこで学位を取ったことで上昇する将来の給与の合計ということになります。

その合計が、かかる費用(授業料や報酬に加え、働いている人が留学した場合は、その期間中に稼げたはずの給与も合わせた合計)を超えなければ、留学することの価値はマイナスになってしまいます。

今のレベルの授業料を払っても、本当にみんな経済的利益が得られるのでしょうか?


誤解のないように書いておきますが、私は「市場価格」が悪い価格だと言っているわけでも、正しくないと言っているわけでもありません。

市場が付ける価格とは、すべての取引参加者の総意として尊重されるべき価格です。

しかし、何かを買ったり売ったりするとき、特に、教育や住宅などの大きな買い物に関しては、自分が今、払おうとしているのはどちらの価格なのかということ、そして、そのふたつの価格はどの程度、乖離しているのか、という観点を常に持っておく必要があると言えるでしょう。



ではまた明日。


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