他国の博士は?

今日も続きです〜。こんな続けるのは、旅行記以来??今日は「他の国は?」という視点で書いてみましょ。

博士を生み出す国ってのは、限られてます。(と、思います。)基本的に「働くのは食べるため」って状態では、大学進学率自体が高くなく、博士なんて特別な人がとる学位にすぎません。というわけで、いわゆるG7と言われるような先進国だけみればいいのかな、と思います。

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一番多いのは、おそらくアメリカでしょう。アメリカって、日本人も毎年100人以上が博士号を取得してるし、なんと中国国籍の人で毎年2000人以上ですよ。インド人とかイスラエル人も多そう。もちろんアメリカ人が一番多いのでしょうが。いずれにせよ、日本より圧倒的多数の「博士」が生まれていると思います。

アカポスに進むのが最も「普通」というのは、ここでも同じだと思いますが、この国の特徴は、なんといっても「ビジネスで成功する博士」が多いことではないかと思います。

自らネット関連企業を起こすこともあるし、そういう企業から「CEO,最高経営者」として迎えられる人が「博士号」を持っていることも多々あります。大企業の役員リストにも「ドクター」と書いてある人、たくさんいます。最近は、MBAではなく、心理学等での博士号を持つ人のCEO就任が目立つ、という記事を読んだ記憶もあります。(結局のところ、経営とは人を動かすこと、人の動きを読むことだから、というような理由付けがされていました。)

あと、個人事務所的なもので、コンサルティングをやっている人も、個人的にはよく会いますね。「コミニケーション」「話し方」「ネゴの仕方」などのアドバイス会社、企業広報やPR、マーケティングに関するアドバイス会社などね。

もうひとつ、博士を大量に吸収しているのが、「政策シンクタンク」。様々な分野に強い研究者を抱える「経済シンクタンク」「医療問題のシンクタンク」、「中国政策関連のシンクタンク」「犯罪心理についての・・・」などが存在しており、その分野の研究者が書いたレポートを政治家やロビイストが購入します。

というわけで、結構多彩な「進路」があります。
そうでなければ、大量の博士を毎年生み出すことはできないし、日本と違って「博士の供給数」は政策的に決められているわけではないので、「需要があるからこそ、供給が可能」という市場原理が働いている、という感じです。

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アメリカは、博士にかかわらず、学士も含め、「大学とビジネスの距離が非常に近い」ですよね。

日本でも今は「大学生のインターン」が大流行ですが、アメリカでは、4年間の大学生活の間に、2年生くらいから毎年、いろんな会社でインターンする学生がたくさんいます。卒業するまでに、いくつかの業種の会社で働き、卒業後入社した際に「電話の取り方がわからない」という状態ではなくなっています。即戦力とは言えないにしろ、社会を全く知らないまま卒業するってのは、(まともな学生には)あまりありません。

大学院に進めば、職業をもっている学生もたくさんいます。自分の会社をもっていたり、パートタイムで働きながら、勉強していたり。そもそも「教授が自分の会社を経営してる」とか「教授が、とある会社の社外取締役」というのも珍しくないですから。経済系でも、「教授は前の政権の○○担当」だった、みたいなのがありますよね。ちきりんの行った大学院は「民主党」系なので、クリントン政権の時には何人かの教授がアドバイザリーなどの職についていました。(その間、授業は行いません。)

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もうひとつのアメリカの特徴、それは、教授であったとしても、結構「市場原理にさらされてる」ということです。一回、アカポスを手にすれば一生安泰、ということはないように思います。

教育側では、よく言われるように「生徒からの厳しい評価」にさらされます。それは「満足しましたか?」みたいなあまいアンケートのレベルではありません。民間企業で働く時の「年末評価」と同じような厳しい評価を受けることになります。

また研究に関しても、「研究資金を集められるかどうか」は、その教授の研究を「市場が評価するか」にかかっています。日本と違って、一流大学は皆、私立、というのもありますが、自分で研究資金を集められない教授なんて、お話にならないのです。

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で、最後に書いておきたいのは、アメリカで「博士号」という学位は、日本とは比較にならないくらい「尊敬」されてるってことです。手紙を書く時も、たとえ相手がCEOでも、Mr. Ms.ですが、相手が博士号を持っていれば、Dr.です。履歴書の一番上には名前を書くのが通例ですが、普通の人は名前だけを書きますが、博士の人だけは、Ph.D.とか、Dr.とか書きます。「名前と同じレベル」で重要な情報なんです、博士号って。

市場においても、社会生活においても、「博士」ってのは「すごい人!」なんです。反対に言えば、ちきりんは、日本ほど「博士」がないがしろにされている国を他に知りません。あんな時間と能力とお金をかけて学位とって、こんな扱いをされては、やりきれないだろうな、と思います。

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ヨーロッパは?

ちきりんの印象で博士が多いのは、ドイツです。なんか「博士だらけ」です。ドイツの閣僚、大企業の役員等々のバックグラウンド見ればわかります。ドイツは高等教育は全部公立、というか、税金でまかなわれます。いわゆる一流大学では、学卒で社会にでる、というのは寧ろ少数派で、基本は大学院に進みます。だいたい8年くらいいます。(ちなみに、在籍制限がないので、10年くらい大学にいる人もたくさんいると思う。)

彼らは10年近く大学にいますが、その間に「やたらと働いて」います。アメリカみたいに「学期中は勉強、夏休みにインターン」というのとは違って、学期中もずうっとパートタイムで働いています。日本の学生みたいに、家庭教師や居酒屋のアルバイトをしているのではなく、ダイムラークライスラーなどの大企業で働きます。大学が国費とはいえ、生活費を親に出してもらったりはできないので、基本的に「自活」しています。結婚している人、子供がいる人もたくさんいます。もんのすごい長い期間かけて、大学生という立場で、いろんな会社で働いて、「ど〜こ〜に〜しよーかな〜」みたいな感じで社会にでていきます。本当の社会人になるのは、みんな30才超えてから、みたいな感じです。すごいゆとりのある社会だと思います。

というわけで、大半の博士の皆さんは、普通に就職します。30才くらいで・・・

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が、この背景にあるのは、やっぱ「社会階層」だと思います。上に書いたのは「エリート層」の話であって、普通の人はこんなことしません。職人になる人は専門学校に行って、マイスターを徒弟制度的にめざすんです。パパママショップ経営する人が大学に行く必要は感じていません。博士号に進む人というのは、最初から、政治・経済・経営・技術などの分野において、「国を率いるリーダー層」である、というコンセンサスがあり、その人たちの間だけで見れば「みーんな博士」という感じだし、一方で、社会全体から見れば、彼らは「特殊な人たち」です。

この傾向は、イギリス、フランスでは、より顕著です。ただし、学位のタイプ、授与の方法などが米国型とはかなり違います。イギリスやフランスでは博士号にあたるものを持っている人というのは、ホントに少ないです。

この二つの国は、博士号云々の前に、大学自体が2種類に分かれてます。もともとは非常に進学率が低い国だったのですが、最近は大学への進学率は急伸しています。しかし、それは「特殊な大学」に加え「普通の大学」を拡大しているからです。

イギリスではオックスブリッジといわれる2校、フランスでは、3つの「超エリート大学」というのがあります。そこをでないと「社会のリーダー」にはなれないんです。それ以外の大学は、「教養」をつけるための大学であって、「エリート」「指導者」「知の専門家」となるための大学とはちがいます。まあ、「民にも大学を用意してやるか」って感じです。

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オックスブリッジに進むには、中高一貫のパブリックスクールと言われる(まあ、中高一貫のエリート学校?)で学ばないといけないし、そこに進む人たちの「居住区」ってのもすごい偏っています。「住所」で決まってしまう将来がある、ということです。

フランスのエリート大学(ちなみに、有名なソルボンヌ大学ってのは大衆大学であって、エリート校ではありません。)に入るには、その準備校に入るわけですが、そこの面接では、「やんごとなきフランス語」で受け答えする必要があります。説明が難しいのですが、「一定レベルの家では、きちんとした言葉」が話されていると、んで、中学生くらいの時に、そういう「話し方」ができないと、入れないんです。そう、そういう言葉が話されている環境で育たないと、そういう大学にはいるのはとても難しい。

これが、階層ってものです。日本の「格差」なんてちゃんちゃらおかしいです。

ただし、日本と違うところは、みんながみんなエリートなんて目指してないことです。それが・・・階層ってものです。はい。

(ただし、いずれの大学も、移民・外国人でも、とても優秀な人をそれなりに受け入れてます。この辺りは、日本に比べても“微妙に”オープンです。たぶん、植民地の宗主国という背景からそうなっていると思います。)



というわけで、イギリス・フランスでは「博士」ってのは、本当に特殊で、なんとなく「普通の人がとる学位」とは違います。上記の「特殊な大学」をでて社会のエリートになる、という方が一般的な(エリートの)キャリアであって、博士は「別ルート」って感じです。

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これくらいなんじゃないでしょうか。博士なんて生んでる国は。



で、何が言いたいかっていうと・・・日本では「想定モデル」が確立されてない、ってことなんです。博士ってどういう立場で、何を期待されているのか、基本的な思想がないんです。

欧州みたいに「歴史」からそれが規定されていること(したがって、エリート層という社会階層を受け入れる覚悟がある)もないし、アメリカみたいに「市場主義」で解決するのだ、という信念もない。それでも「博士」をたくさん生むのが「先進文明国である」という思いのもとに、制度だけ真似して政策的に博士を増やそうとする。

「とにかく欧米の真似をする」「何かの指標で欧米に劣っている部分をとにかく改善する」というコンプレックスと他人真似と偏差値思考的な目標の立て方。「追いつき、追い越せ」思考は、ビジネスの分野では少なくなりましたが、文化・教養・教育の分野では、まさにそれが今は花盛り。なんだかな〜、です。

この国はどういう国になっていくのか。それを示す人が、どの分野にもあまりにも少ない。全体像の設計や根本思想の検討なく、個別の細かい指標だけで運営してしまう。官僚から政治家の仕事へ。その意味するところは、政治の世界だけでなく、すべての分野にとって適用される、今の私たちの国の課題でしょう。




ああ、長い・・・・

また明日。