組織で働く人は謙虚でありたい

いくつか同じような事例を目にしたのでそれについて。

いずれも最近話題になった記事なのです(=ちきりんが下記で取り上げる視点とは全く異なり、その本筋の話で話題になった記事、という意味です)が、


ひとつは元毎日新聞の記者で今はフリージャーナリストである佐々木俊尚さんが「大手週刊誌の電話取材を受けて、心が汚れたような気持ちになった。」と書かれていた件。*1

なぜそこまで人を誘導尋問で引っかけて、私が考えてもいないことをコメントとして掲載しようと思うのかが、もうわからない。取材者と取材対象の信頼関係なんかどうでも良くて、自分が作ったシナリオ通りに相手をしゃべらせればそれでオッケーという神経が、どうにも理解できない。

と、自分に取材をしてきた“大手週刊誌の記者”の姿勢を痛烈に批判されてます。


もうひとつは、シリコンバレーのコンサルタントである梅田望夫さんが、つい最近のインタビューの中でされた下記の発言。*2

直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。


そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。

と、こちらも、あまりにお子ちゃまな新聞記者の無責任&脳天気な言葉に怒ってらっしゃいます。


そういえば、堀江さん(ホリエモンさん)も、以前の自身のブログで、「日経BP幹部の了見が激しく狭い件について」*3というタイトルのエントリを書かれてました。

取材依頼があり、日経ビジネスの記者から取材を受けた。掲載時期はいつですか?と聞くと、いやいつかわからないという。はあ?ってな感じだ。だったら先にそれを言えっての。


もうひとつは日経ビジネスアソシエの取材である。わざわざ本社まで出向いて、取材を1時間以上受けたにもかかわらず、ボツ。特集の企画が変わったとか言っていたが、真相はわからない。


そういや、Infinity Ventures Summitとかいう、ベンチャーの集まりみたいなのも、ぜひ来てくれ、とか言っておきながら、スポンサーの都合とかなんとか言って、やっぱり、来てくれるな!と言ってきた。失礼なやつらだ。やる気になっているところで、こういう断られ方すると落ちるから。そういうケツの穴の小さいやつがスポンサーにいるなら、最初から頼むなって思うよ。自分がされたら、嫌だと思うよ。

ふむ、と思いました。全部同じだな、と思って。


(1)まず、怒っている方の人達が皆同じ。それぞれに「自分の力で食べている人」なんです。組織の看板で食べているのではなくてね。3人のうちの二人は元は大企業でも働いているけど、今は個人名で食べている。“会社の力”ではなく自分の力で、今の立場や発言力を確保した人達です。


(2)さらに3人とも「マスコミの取材対象として」極めて価値の高い人達です。ネット上ではもちろん多くの人達が彼らの発言に注目しているし、自著を含め紙媒体市場でも売れっ子です。つまり、記者との力関係において少なくとも「取材をしてもらえるなんて、それだけで涙が出るほど嬉しい」という立場ではない。(持ちつ持たれつの側面はあるにせよ)寧ろどのマスコミに露出するかをある程度選択的にコントロールできる立場だと思います。


(3)一方で、批判されている人達は「大手週刊誌の記者」「新聞記者」「日経BP社の記者&幹部」という“匿名の人達”であって、おそらく誰一人「会社の看板」なしには食べていけない人達でしょう。彼らがこのような“大御所”に取材ができるのは、個人として認められたからではなく、それぞれの会社とその会社がもつ媒体に価値があるからです。


つまり・・・取材側と取材される側の力量には、天と地ほどの格差がある、ってことです。


なのに上記で紹介したような失礼なことが起こる根本的な理由は、その「会社の看板で仕事してます」って人がそのことを理解せず、まるでその力が自分の力であるかのように誤解し、圧倒的に力の違う取材対象の人にたいして、当然に持つべき尊敬の念、といったものを忘れ去り、“対等に意見するのが当然”みたいに勘違いしているからなんだろうと思うのです。


この事例のような「非常に立場の強い人」にたいしてさえ「対等」だと思う記者達は、もっと立場の弱い人達、つまり、大手マスコミに取材してもらえたら涙が出るほどありがたい!と思うような、立ち上げたばっかりの会社を率いている起業家とか、名もない、何かの市民運動を地道にやっているような人達に取材をする時には、いったいどんな姿勢でのぞんでいるのでしょう。

今までだって、大手マスコミの取材手法や記者のおこちゃまぶりに頭に来ていた取材される側の人、というのはたくさんいたでしょう。「もう絶対マスコミの取材は受けない!」と怒っている人達はあちこちにいるんじゃないかな。でも彼らの多くはそれを表明する術を持っていません。てか、自分のブログに書いたって誰にも伝わらないし。

でも今回は違う。上記であげた3名には彼等の自由にできるメディア(ブログなど)があり、しかも、下手すると大手マスコミの潰れそうな雑誌よりは読者の数や質も上回っています。大手マスコミやその威を借りた子供っぽい記者様に、内心憮然としながらも飲み込んで我慢してあげる必要は全くない。


こういうのを見ていて思うこと。それは「個人として力を持つ」ということへの尊敬をもうちょっと持つべきだよね、ということ。時々この国には「個人として力をもつこと」よりも「力のある大手企業から(新卒の就職活動の時に)内定をもらうこと」の方が誇れることだ、大きな達成だ、とでも思っている人が多くいるんじゃないか、と思えてしまいます。だから「大手マスコミの記者です」「大手企業の社員です」というだけで、そんなに偉そうなのかな、と。


上記の3例において、それぞれの人は「頭にきた」といいつつも、相手方の記者個人名については触れていません。それは配慮というよりは、“そんなつまらんものを書いても仕方ないでしょ”ってことなんじゃないかと。大事なのは「あの会社の記者が」失礼であった、という事実であって、結局は個人名にも触れてもらえないような人達、ってことなのかもしれない。


まあとにかく、「個人で力を持つ」ということの大変さをもうちょっと理解した方がいいかもね、と思う。それは「大企業に内定しました」などということとはレベルの違うことなのだから。ちきりんは、すべての人に会社を辞めろとか起業しろとか煽る気は全然ない。しかし、組織にいる人ほど謙虚にならなくてはならない、とは思います。

自分が今やっていることは、会社の名刺がなくてもできることなのか、やらせてもらえることなのか。自分の“実力”とやらの源泉はどこにあるのか、と。

自戒を込めて。



そんじゃーね。