先日、海外の記者が鳩山政権について話し合うテレビ番組を見た。オーストラリア、イタリア、韓国、中国の人が出ていた。皆やたらと現政権への評価が高くて驚いた。
中でもおもしろかったのは、鳩山首相のスローガンである「友愛」について、韓国や中国系の人がすごく高く評価していたことだ。
たしかにアメリカには普天間の件で「私と社民党とどっちが大事なのっ!」と言われ、「来年になったら必ずはっきりさせるから。もうちょっとだけ待ってくれ」とか言ってる一方で、中国には200人の国会議員が訪問ですからね。外交的な優先順位はあまりに明らか。
民主連立政権が「先端より底辺に優先順位」をおいているのはわかっていたけれど、ここまで「アメリカより中国・アジア」優先であるとは、政権スタート前には想定してなかった。そーかー、やっぱ社民と連立だし、そもそも半分が旧社会党だし・・と思い知ったちきりんです。
さて、そのテレビ番組の中で、韓国・中国の人が「鳩山首相の友愛精神」を高く評価するのを聞いて、イタリア人とオーストラリア人の人が興味深いことを言っていた。いわく、
「中国文化圏の人にとっては“友愛”というのはおそらくすばらしい精神性をあらわしているんだと思う。でもその英語訳の“fraternity”という言葉は全くインパクトのない言葉で、一国のトップのスローガンたり得ない単語だなんだよ」と。
なるほど、これはおもしろい視点だと思いました。おそらく中国文化圏の人は“友愛”を無理矢理訳さずに“字面”で判断しているんじゃないかと思うんです。韓国もエリートは今でも漢字文化を共有してるしね。
すると“友愛”という字面、文字の表す意味、は、もしかすると日本語の“ゆうあい”という若干間の抜けたイメージより、さらに高尚な印象を、中国文化圏の人達に与えている可能性があるんじゃないか、と思った。
ご存じのように、“友愛”というスローガンは、元々彼の祖父である鳩山一郎氏が提唱したもので、鳩山一郎氏はドイツ・オーストリアの政治家の言葉に感銘をうけてそれを使い始めたらしい。なので、もともとはドイツ語だったのが、鳩山一郎氏がその邦訳である“友愛”を使った、で、それが今は英語で“fraternity”になった、という変遷を辿っている。
で、元々のドイツ語は“Brüderlichkeit”なのだが、これをネット上の辞書で英語に訳すと“Brotherhood”になる。ただし、“fraternity”をドイツ語に訳すとやっぱり“Brüderlichkeit”に戻る。ので、“Brüderlichkeit”→“友愛”→“fraternity”は、語学訳としては正しいんだろう。
ただ、それぞれの言語において“訳としては正しい”、すなわち“同じ意味であるはずの言葉”が、それぞれの言語圏において聞き手に与える心象が、必ずしも同じではない可能性はある。今回は特に英語においてその心象が弱いというか、曖昧すぎ、意味不明、なのかもしれない。
なのであれば、“友愛”を正確に“fraternity”とは訳さずに、
「LOVE & PEACE」
とでも訳していたら、なにかしら別の印象を与えたのではないか、という気がした。正確な訳語であることより、各言語圏においてどういう心象を残したいか、の方が大事とも言えるじゃん。
「辺野古沖に決めたはずじゃないか」「いや、そうだけど、やっぱり“Love & Peace”の精神で沖縄から基地を無くしたいんだよ」とか、「社民党とアメリカとどっちが大事なんだ?」と言われたら、「どっちも大切に思ってるんだ。みんなでLove & Peaceで話し合おうよ」とか。
これなら、ちょっとは前向きな感じがしない?
・・・しないか。
しませんね、
すみません。