12歳の時の私のために

先日 紹介したフェルドマンさんの本 のなかで印象に残った言葉↓

経済学とは何かと訊ねられれば、「希少資源の最適な利用の学問」と答えます。


さらにその目的は「希少性からくる争いを減らし、世界を平和にすること」と言えるでしょう。


国や人間が争ってきた歴史を振り返り、世界の現状を見れば、争いが希少な物や足りない物が原点になっている場合が多いことが分かります。


水や石油、食べ物や環境など、希少資源や希少商品をどうやって公正配分し、どうやって希少性を解消するか、それを考えるのが経済学です。

4つの文からなっていますが、主文は前半のふたつで、後半は補足説明です。

つまり「経済学とは何か」について著者は、たったふたつの文章で、その意義を明確にしてる。


ちなみに、私は昔「経済成長の目的は何か?」というエントリを書いていますが、

ごく当たり前に思える事象についても常に「なぜ?」を忘れず、自分なりの答えを持っておくのは、とても大事なことだと思います。


そして今回は、「誰かに“ちきりんブログ”の意義を問われたら、なんて答えるんだっけ?」とあらためて考えてみました。

「Chikirinの日記」はまさに“自分の専門”なんだから、いつ誰に聞かれても、迷い無くすっきりと答えたい。


その結果、私がブログを書いているのは、

大人の世界の入り口にいる子ども達(12歳の時の私)に、社会のリアルについて知り、考えるきっかけを与えること、思考することの楽しさを知ってもらうこと

に尽きると、あらためて確認できました。


実際のブログ読者には、子どもより 20代、30代の方が多いでしょう。それでも私の読者ターゲットは常に、“12歳の時の私”です。

駅前がどんどん寂れていき、郊外型のショッピングセンターができ始めた頃の中途半端な地方都市で保守的な父と専業主婦の母に育てられ、

近場の公立校に通いながら、先進的でも国際的でもないふつーの教育を受けていた当時の私は、12歳の頃からずっと「社会のリアルが知りたい!」という、強い欲求に取り憑かれていました。


当時、周囲に私の好奇心を充たしてくれる人は誰もおらず、スマホどころかインターネット自体が存在しなかった時代。

地方にいるのは、男は公務員か大企業の社員になり、女は結婚して子どもを産むのが最高の幸せだと考える人たちばかり。

だから当時は、現実より本の中の世界のほうがワクワクできて楽しかった。

星新一、松本清張、山崎豊子氏など、小学生の頃から社会派の小説を次から次へと読んでいたのは、自分の目の前にある現実の世界なんかより、それらフィクションの世界のほうがよほど興味深かったからです。


★★★


世の中はもっと広いはず、もっとおもしろいはず、もっと可能性に満ちているはず、もっといろんな人がいるはず!

そう考えていた 12歳の私は、ずっと焦っていました。早く世界に出て行かなくちゃと。


でも、中学生にできることなんてタカがしれてる・・・

そんなとき私を救ってくれたのが、「街の書店」と「父が購読していた新聞」でした。(テレビは、巨人戦とアニメと演歌の花道と大河ドラマを映すための機械だったので)


★★★


街の書店と学校の図書館は全く違います。

学校の図書館には、大人が「子どもはこういう本を読むべき」と選んでくれた本しかありませんが、

街の書店には、良書から悪書まで大人向けの本がたくさんあり、マンガと異なり、一般書籍の立ち読みが咎められることはありません。

新聞も、親はお金を払って購読していたけれど、私は一円も払わずに、それを読むことができました。

「無料でリアルな社会を知ることのできる環境」が、子どもの身近にも存在することの重要性を、このときの経験から、私は痛切に感じています。


12歳の子どもは、クレジットカードも持っていないし、お小遣いもたいした額ではありません。

だから、買わないと本が読めないネット書店だけではダメなんです。

大人には格安に思えるワンコインのメルマガだって、12歳の子供が購読するのは難しいでしょう。


最近は親も紙の新聞の購読を止め、スマホでネットニュースやメルマガを見ていたり、日経新聞の購読もネットだけ、という状態だと、

子どもはそれらを読むことができません。

小さい頃、親の本棚に並ぶ蔵書を勝手に読んだという子は私だけでは無いはず。でも、

親がすべての本を電子書籍で買うようになれば、子どもがそれを読む機会も、大きく減ってしまいます。


とはいえ、むやみに昔を懐かしむ必要はありません。なぜなら今は、当時はなかったインターネットがあるからです。

それは当時の新聞や書店以上に広い世界を「無料で」12歳の私に見せてくれます。


★★★


私はこのブログを、日本のどこかにいる“ 12歳の時の私”のために書いています。

周りに、イケてる大人がいなくても、
親が本を全く読まず、家にはなんの本も無くても、
親が紙の新聞を購読してなくても、


学校のパソコンさえ使えれば、
もしくは、ごくごく低スペックでいいので、スマホさえ持っていれば、

無料で簡単に社会のリアルに触れることができ、周りの保守的な大人達とは異なる考えや発想に触れることができる。


そういう環境を維持していくことが、とても大事だと思っているんです。


ビジネスに携わる大人たちは、価値ある情報が無料で提供され、誰でも見られるインターネットの世界に満足していません。

企業の場合、無料では質の高い情報を継続的に提供し続けることはできないし、

誰でも読めるサイトの場合、誹謗中傷を趣味とするおかしな人達からの罵詈雑言にも晒され続けます。

だから多くのメディアが有料化にチャレンジし、無料の場合でも読者に個人情報の登録を求め、広告単価を高めようと考えます。

個人の書き手についても、「価値あるものには対価を払って欲しい」と考えることが増えています。


その流れに異を唱えるつもりはありません。

誰でも読めるサイトで読者の質を維持することの難しさは十分に理解しているし、より多くの人がネットで稼げるようになる時代は、素晴らしいと思っています。

それでも私自身は有料サイトには記事を書かないし、インタビューや対談の掲載も、無料サイトに限定しています。

メルマガでもサロンでもなく、「Chikirinの日記」を無料サイトとして維持し続け、
フェイスブックではなく、ツイッターで発信を続ける。

それは、そもそも「なんのためにネット上に文章を書いているのか」という、根源的な理由に関わることだからです。


加えて、新聞サイトやキュレーションサイトが有料になればなるほど、お金を払えない子ども達は「無料サイトを通じて、初めて大人の社会を知る」ことになるわけで、

昨今の情報サイトの有料化や会員制度化を見ている限り、“読者の青田買い”という意味で無料のブログはむしろ有利にも思えます。

つまり、12歳の時の私をターゲット読者として書くことは、単なるボランティアや社会貢献ではなく、長期的にはサイトの価値を高めてくれるはず、とも信じているのです。


★★★


当時の私のような子どもが、今も日本のどこかの地方都市で、ジリジリしながら生きているとしたら、

ネットを利用するのも学校のパソコンか、ごく低機能なスマホのはず、もちろんクレジットカードもありません。

だから私は、登録も課金もせずに読める場所に書き続ける。

だから私は、(低スペックのスマホでは読みづらくなる)重い広告をサイトに何個も貼りたくない。


「社会はこんなふうになってるんだ!」と気づき、

「世の中にはこんな問題があるんだ!」と理解し、

「未来にはこんな、びっくりするほどすごいチャンスがあるんだ!」と目を開かせてくれる情報が、

裕福な家庭に生まれなくても、
教育熱心で先進的な考えを持つ親の下に生まれなくても、
大都市に生まれなくても、
どこに生まれたどんな家庭の子でも自在に手に入る。

そういう場所と環境を提供し続けたい。


★★★


自分がやっていることの意味を、きちんと考えておくこと。

誰に、どんな価値を提供するために、自分は今これをやっているのか、明確に意識しておくこと。

それはとっても大事なことです。

無料でブログを書く人にとっても、有料で記事を提供する人にとっても。



そんじゃーね。



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