「正解のない問題」についてこそ、自分のアタマで考えよう

昨年と今年に起こったふたつの事件(と事故)について、考えたことを書いておきます。

昨年の事件は、九州大学での放火自殺事件。
キャンパス移転のため取り壊しが決まっていた研究棟の一室で、46歳の男性が火を放ち、自ら死を選びました。

男性は同大学で博士課程まで進学したあと、9年前に退学した元学生。退学後は無断で研究室を使っており、大学側は事件が起こるまで彼の存在を把握していませんでした。

男性が研究してたのは憲法。

家庭の事情で一般高校には進めず通信制高校を選ぶなど、苦学して入った九州大学で博士課程まで進むも、博士論文を書き上げられないまま37歳で退学。

その後の10年は非常勤講師を掛け持ちする生活だったようですが、奨学金という名の借金が700万円もあり、経済的にはかなり苦しかった模様。

そんな彼が研究室に火をつけて自殺したのは研究棟から強制退去される予定の日で、いよいよ切羽詰まっての行動だったと思われます。

★★★

もうひとつは今年の事件。

47歳の男性が、ニコ生でスマホによる配信をしながら冬の富士山へ登山。
頂上近くまで達するも、配信中に足を滑らせて滑落。一キロ近くを滑り落ちて二日後に遺体で発見されました。

彼はながらく早稲田大学にほど近い古アパートに住み、司法試験を受け続けていたとのこと。

とはいえここ数年は自転車で走りながらの配信や、富士登山の様子をニコ生で配信するなど、配信にはまってたみたい。

今回は数少ない配信リスナーのリクエストもあり、冬の富士山に登山。配信映像を見る限り、冬山に登れるような服装や装備ではなかったようで、「事実上の自殺行為」という声もありました。

彼の住んでいたアパートの家賃は3万円代と報道されてましたが、取材に応じた大家さんは「長年ふた部屋を借りてくれていた」「働いてる気配はなかった」と証言されてるので、10万円ちょっとくらいの仕送りがあったのかもしれません。

あと、彼は一年前に癌を患って入院。その際には親御さんが郷里(四国?)から上京されてたらしいので、家族とのつながりはあったようです。

★★★

このふたりについてはいずれもNHKが特集番組を作っているので、興味のある人は番組記事を読んでみてください。

www3.nhk.or.jp

www.nhk.or.jp

★★★


ここでふたつの事件(&事故)の共通点と相違点をまとめてみると、

共通点
・ふたりとも40代後半の男性で単身者
・ふたりとも難関の職業を目指して浪人中だった
・ふたりとも最低限の生活費で生活していた
・ふたりとも、そこそこの大学に入学してる
・ふたりとも語学ができる
 (九州大学の元院生は「得意のドイツ語を活かした研究補助のバイトをしていた」し、司法試験浪人の男性は、英語で自分のアパートを紹介する配信をしていました)
・ふたりとも、40代で人生の幕を閉じた

違うところは、
・ひとりは自殺、もうひとりは事故死
・ひとりは自分で稼いでいた、もうひとりは(おそらく)親御さんの援助があった

というあたりでしょうか。


この事件&事故の報道をみて私が思ったのは、「高校のキャリア教育って、こういうリアルな例を題材に、みんなで話し合うような授業をすればいいのに」ってことでした。

このふたり、亡くなったときは正規の職業にもつかず、経済的にも厳しい生活をしていたけど、もともとの学力はけっして低くありません。少なくとも学歴社会的な観点で見れば、“負け組” でも“底辺” でもないのです。

前者は九州でいちばんいい大学(九州大学)に入学してて、ドイツ語もできる。後者も高校は進学校、大学は中央大学の法学部でアメリカへの語学留学もしてた。

つまり彼らの姿は、いま進学校に学ぶ高校生たちにとって「決して他人ごとではない」将来像なんです。


キャリア教育っていうと「どうやってステップアップしていくか」みたいに、やたらと前向きな話ばかりが注目されがちだけど、実際のところ、人生ではすべてが思ったとおりに進むわけではなく、いろんな障害や困難にぶち当たる。

てか!

なんの苦労もなく順調にステップアップして万々歳! みたいな人のほうが少ないはず。

だったら高校や大学などのキャリア教育では、順調に進まなくなった人のリアルな事例も教材として使いながら、自分だったらどうするのか、努力が必ずしも報われないとわかったとき、どんな気持ちになるのか、ってことこそを、しっかり考えさせておくべきなんじゃないかな。

進学校に通う学生なら、いまでも司法試験や研究職を目指している人はいるでしょ?

そういう生徒たちのなかからだって、順調に目標を達成できる人もでれば、そうじゃない人もでてきます。

自分が後者だとわかったとき、どうするのか。それこそ事前に考えておくべき価値があるのでは?


誤解しないでほしい。

あたしは、このふたりが不幸だったのか、幸せだったのかは知りません。

100歳まで生きることや経済的に大成功することが、幸せの絶対的な条件というわけでもないしね。

でも、「こういうとき自分だったらどういう選択をするだろう?」って考えることには、それなりの価値がある。

★★★

あとね、ふたりの人生の終焉には、それぞれ別の職業の人たちも登場しています。

九州大学の研究棟から火が出たとき、その消火にあたった消防士という職業。

取り壊し予定の校舎ということで、他に人的被害は出なかったようだけど、風など気候の状況によっては、巻き添えになって命を落とす人が出たかもしれません。

消防士のなかにも、仕事中になくなる人が毎年います。彼らもまた、命をかけて働いてるわけです。


計画書なしの登山が禁じられてる冬の富士登山での遭難通報を受けて、その捜索を行った警察や山岳救助隊の人たちも同じく命がけです。

通報の二日後には遺体を見つけたプロの仕事にはただただ頭がさがるけど、

彼らもまた、数多くの(命なんてかける必要のない仕事がいくらでもあるこの世の中で)「危険をおかしてでも、他の人の命を救う」という職業を選んだ人たちです。

40半ば、志半ばで人生が終わってしまうリスクは、最初に挙げたふたりだけでなく、そういう仕事に就いている人たちにだってあるんだよね。


繰り返すけど高校生あたりのキャリア教育って、華々しい成功事例だけじゃなく、こういうリアルな挫折事例も題材に使い、みんなで考えたり話し合ったりしたらいいと思う。

なぜなら世の中のリアルな事情というのは、学校が用意できるフェイクな教材とはまったく異なるレベルの複雑さと切実さを備えているから。

そういうリアルな題材で考える訓練を積んでおかないと、自分がほんとの壁にぶち当たったとき、乗り切れない。


あともうひとつ。こういうリアルな事例には「ひとつの正しい答えがない」って点で価値がある。

自分のアタマで考える訓練をする際、大事なのは「答えのない問題について考える」ことなんだよね。

学校ってすぐに「模範解答」的なものを用意するんだけど、人生には正解なんてない。

今回の二人の生き方も「さっさと諦めて別の職業につけばいいのに」と思う人もいるだろうけど、決してそれだけが「正解」で、それ以外が「不正解」ってわけでもない。

これがミュージシャンやアーティストを目指して、道半ばで亡くなった人だったら「成功できなかったかもしれないが、死ぬまで自分の夢を目指して頑張った素晴らしい人生だった」と考える人もいるでしょう。

それと彼らの人生は、なにも違わない。

だからこの事例についてだって「なんて哀しい人生なんだ」と思う人もいれば、「幸せな人生だったかも」と思う人がいてもいい。


正解のない、リアルな問題について、自分のアタマで考える。

そうでないと、ほんとに大事なことはわからない。



そんじゃーね

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