今年の1月末以降、大変なことになっている新型コロナ(COVID-19)。
どこの国でも「時計を戻せるなら、あのとき、こうしておくべきだった」と深く後悔していることがあるはずです。
残念ながら今回の新型コロナを乗り切っても、感染症はまた必ずやってきます。
そのとき今回の学びを活かせるよう、「やっぱあの時こうすべきだったのかも」と個人的に感じていることを記録しておきます。
最初に成功点、そのあとで反省点です。
成功点 01) 武漢からのチャーター便帰国者の検疫
武漢やその周辺に滞在していた 800人以上の邦人(とその家族)を数回のチャーター便で日本に帰国させ、国内で検疫。
滞在場所として民間のホテルまで使用したにもかかわらず、二次感染は起らず、ほぼ完璧な検疫が行われた。
→ 参考:国立感染症研究所のまとめ記事
成功点 02) 北海道の非常事態宣言と外出自粛要請
国の対応を待つことなく、知事による早めの決断によって、最初に感染が拡大した北海道で、感染スピードを緩めることに成功
成功点 03) 自衛隊のクルーズ船サポート部隊
多数の乗客(陽性患者を含む)の病院への移送、母国が手配したチャーター便で帰国する外国人乗客の移送などを担当したにも関わらず、誰ひとり感染してない。
成功点 04) 専門家会議のクラスター分析
第一波、3月末までの段階において、日本が欧米より遙かに死亡者を押さえられたのは、彼らのクラスター分析に依るところが大きい。
誰にも感染させていない人もいる一方で、一気に感染が拡がるクラスターが存在すること、クラスター感染が起こりやすい環境 3条件(3密=密室、密集、密接)を明確にし、濃厚接触者を優先的に検査、隔離することでクラスターの拡がりを防いだことなど、多くの功績がある。
成功点 05) むやみなPCR検査を行わなかったこと
判定精度が必ずしも高くないPCR検査ではなく、防疫体制の整った病院で医師がCTなどを撮った上で検査の必要性を判断する方式を採用したことで、優先的なクラスター分析を可能にし、かつ、医療崩壊を防いだ。
米国内で最もひどい状態になったニューヨークでは、「誰でも検査が受けられる」となった直後に病院に多数の人が詰めかけ、長い列を作って密集しながら検査を何時間も待ったため、そこで感染が拡がったとも言われている。
成功点 06) 加藤厚生労働大臣のコミュニケーション
1,2月、政府のスポークスマンは加藤大臣が務めてた。冷静沈着な説明でわかりやすく、危機感もきちんと伝わっていた。
(3月以降、国民への説明を担当し始めた安倍首相より遙かに効果的)
成功点 07) GWの人の移動の完全抑制に成功した
GW前に「全国」に緊急事態宣言を出し、GW中の旅行や帰省を徹底的に抑えこんだことは、感染が全国に拡がるのを止める上で極めて効果的だった。
一部の学生や若者が帰省して感染を地方に拡げたり、沖縄への旅行を取りやめない人や、隣県のパチンコ屋まで移動するといった不届きな人も一部でたけれど、ほぼほぼ国民の大半がGWの行楽や帰省を諦めた。
この自律性の高さが、全国へのコロナ蔓延の危機を救ったと言える。
(2020/5/14に追記)
成功点 08) 布マスク文化への移行はじめ、創意工夫と助け合いの風潮
当初、マスク不足がひどかったが、政権が布マスクを国民全員に配ると言い始めたあたりからテレビに登場する政治家の多くが「布マスク」を使い始めた。
一部の政治家の「おしゃれ布マスク」も注目を集め、布マスクを手作りしたり売ったりする人が増え、紙マスクへの需要が大きく下がった。
アベノマスク自体は配布も遅れ、実質的な意味はもたなかったが、「使い捨てマスクがなければ布マスクを使えばいーじゃない?」という風潮を生み出した価値は大きい。
またこのあたりから、雨合羽を集めて医療従事者のガウン代わりにするとか、様々な企業が医療現場が必要とするものを作り始めるなど、
「物資不足 → パニック」ではなく
「物資不足 → 創意工夫と助け合い」の動きとなったことは、社会全体のリテラシーの高さのおかげと思う。
(2020/5/14に追記)
成功点 09) 感染者数が増えることを恐れず、検査を拡充した
緊急事態制限が終わったあと、検査体制を強化し、無症状の若者(夜の街関連者など)を中心に多数の検査を行った。感染者数が増えることを恐れず、積極的に検査を増やし続けたことで第二波は拡大を避けられた。
(2020/7/24に追記)
成功点 10) 夜の店との協業を進めるため飴と鞭を使い分けた
全関係者の PCR検査を受け入れるなど、感染防止に積極的なホストクラブやキャバクラなどとは行政も協力。
非協力的な店には、警視庁に依頼しての立ち入り検査(風営法)や協力要請のための戸別訪問など、夜の街の協力を得るため、飴と鞭を使い分けた。
(2020/7/24に追記)
成功点 11) 自衛隊のクラスター病院への派遣が極めて有効だった
完全な医療崩壊に陥りつつあった旭川の大規模病院に自衛隊の特別チームが派遣され、瞬く間にクラスター拡大がストップした!
自衛隊すごすぎ。
(2021/1/11に追記)
★次は反省点★
反省点 01) クルーズ船内の隔離は不可能
クルーズ客を楽しませることを訓練されている船内スタッフに隔離最中の生活支援を任せざるを得ず、検疫期間中に船内感染が拡大した。
反省点 02) 中国で感染症発生が報じられたとき、すぐに入国を制限すべきだった
1月から2月の感染はほぼ、武漢からの中国人観光客によってもたらされた。3週間早く「入国禁止」にしていたら、第一波の感染は起こってなかったかも。
反省点 03) 欧米からの帰国者の隔離について、有名無実なまま放置した
空港から「公共交通機関を使わず」「自宅かホテルで2週間、セルフ検疫(隔離)」をすることを義務づけたが、こんなの守れる人は、ほとんどいない。
(成田や羽田から、公共交通機関を使わずに家に帰れる人はごく僅かだし、空港近隣ホテルでさえ送迎バスに乗って移動し、食事も自分で買いに行かないといけない)
3月半ば以降の感染は、武漢ではなく、欧米からの帰国者(日本人)によって引き起こされた。
反省点 04) 外務省が海外渡航の自粛(レベル2への引き上げ)を決めるのが遅すぎた
外務省が全世界を対象に危険情報「レベル2(不要不急の渡航は止めてください)」を出したのは 3月 25日。
この直前まで、大手も含め旅行会社は欧米や南米などへのパックツアーを実施していた。
結果として、230人もがペルーで足止めされたり、3月に入ってから感染が拡大していたヨーロッパ(スペインやフランス)などに旅行する人が多数、出てしまった。
高齢者だけでなく、卒業旅行で海外にでかけ、大学をクラスターにしてしまった学生もあらわれた。
反省点 05) 3月半ば、文部科学省が学校再開を検討すると発表したことで緊張感が緩んだ
文部科学省(大臣)は、3月17日に「学校再開の目安を今月中に示す」と記者会見で発言。
これで「学校が再開されるらしい」と考えた多くの( 3月 2日からの休校に鬱屈としていた)人たちの気が一気に緩み、ちょうど桜の季節だったこともあって、その後の祝日+週末の 3連休は各地の行楽地に人が繰り出して大混雑。
医療崩壊の危機にある欧米からは「日本は未だに花見をしてる!」と驚愕された。
反省点 06) オリンピックをやりたいがために、東京都の自粛要請が遅れた
文科省が学校再開の検討をすると発表したのと同じ 3月 17日、IOCは臨時理事会を開いたが、「オリンピックは予定通りに開催」と表明。
この直後の週末( 20日から 22日)は、祝日をあわせた3連休でお彼岸で桜も満開。多くの人出が予想されたが、東京都は「オリンピックが予定通り行われる」と確認された直後でもあり、週末の自粛要請が出せなかった。結果、3連休は観光地、繁華街、桜の名所が多くの人で埋まった。
しかし、たった 3日後の 25日、各国選手や競技連盟からの批判をうけ、IOCは一転、オリンピックの延期を決定。
この決定の直後、小池都知事は緊急記者会見を開き「週末の外出自粛」を要請。これにより 28,29日の週末は、一気に街の人が減った。
もし IOCが 3月 25日ではなく、一週間早い 17日にオリンピックの延期を決めていれば、東京都も 3連休前に「週末の外出自粛」を呼びかけられたはず。
反省点 07) 検査拡大への方針転換が遅れた
日本は当初から、PCR検査を「新型コロナへの感染が強く疑われる人のみ」に絞り込んだ。
成功点05) に挙げたように、この方針自体は正しかったと思うが、保健所がオーバーキャパで機能しなくなってからは、明らかに検査が必要と思われるような人でもなかなか PCR検査が受けられない状態が続いた。
感染経路の不明な感染者が恒常的に過半を占めるようになった 4月中旬以降も、広くPCR検査が受けられる体制を整備することができず、結果として
「交通事故に遭った人を病院に運んだら陽性だった」「道で倒れていた人を病院に運んだら感染していた」といった事例まで見られるように。
これが医療機関でのクラスター発生を引き起こし、結果として医療崩壊の一因ともなった。
当初のクラスター分析が上手くいっていたことで、検査を拡大するタイミングが遅くなりすぎたこと、
検査拡大が必要だと専門家が言い出してからも、その体制整備に予想以上に長い時間がかかってしまったことは、大きな反省点。
(2020/4/22に追記)
反省点 08) 保健所が昭和過ぎて機能不全に陥った
患者と医療機関のコンタクトポイントとなった保健所は早い段階からオーバーキャパで機能不全に陥り、これがために命を落とした人も少なからず発生した。
たとえば、保健所への電話がつながらず自宅で死亡したり、つながっても入院先が見つけられないまま死亡した人まで現れた。
保健所のスタッフは左手で電話の受話器をもち右手でペンを握って、電話をかけてきた人の行動履歴を聞き取り、紙にペンで書き取っていた。検査や入院を引き受けてくれる医療機関を探すのも「電話を何十カ所も順番にかける」という方式だった。
データも様々な様式でファックスで送られるため、東京都の患者数の把握、陽性率の把握は、検査結果がでてから数日後までわからないという状態が続いた。
(2020/5/14に追記)
反省点 9) Go to Travel キャンペーンのタイミング間違いと混乱
緊急事態制限を解除したあと、どんどん感染者が増えてきたにもかかわらず、夏休み前(4連休からの)Go to Travel キャンペーンを強行した。
そのうえ、途中で東京発着の旅行と都民の旅行を除外したり、それによって生じたキャンセル料を負担としないと言っていたのに突然、負担すると言い出すなど、話が二転三転し、業界、消費者含め、すべての人を混乱に陥れた。
(2020/7/24に追記)
反省点 10) 東京都の見通しの甘さによる対策不足が繰り返された
東京都が、緊急事態宣言の後まで隔離用のホテル契約を更新していなかったため、7月中旬以降、感染者が急拡大したときにホテル不足を招き、軽症者まで病院に入院したり、隔離場所が見つからず「調整中」として(事実上)放置される人が出現した。
同じく、第一波のときい大混乱した保健所の体制強化も第二波までに間に合っておらず、保健所のキャパ不足がボトルネックとなるという、前回と同じ問題が繰り返された。
(2020/7/24に追記)
反省点 11) 病院で医療者が介護に追われ、医療崩壊に拍車をかけた
旭川の大規模な看取り病院でクラスターが発生すると、寝たきりなど全面介護が必要な患者の入院が相次ぎ、コロナ患者受け入れ病院では、看護師が介護まで担うこととなり、人手不足に拍車をかけた。
寝たきりや認知症患者がコロナに感染すると、コロナが陰性になってもなかなか退院できない(戻る場所がみつからない)ため、入院期間が長くなり、医療機関のキャパシティを圧迫した。
超高齢化社会の日本で、介護の必要な高齢者が感染症で大挙して入院するという事態が発生することを、誰も(医師会も厚労省も専門家も)予測しておらず、なんの準備もできていなかった。
(2021/1/7に追記)
反省点 12) 第三波を甘く見てGoTo停止や非常事態宣言のタイミングが遅すぎた
11月くらいから第三波の感染が拡大しはじめていたにも関わらず、GoTo停止を決めたのが12月半ば、非常事態宣言は、東京で1300人を超える感染者の出た大晦日を経たあと、1月の7日まで遅れた。
(2021/1/7に追記)
反省点 13) 2021年の非常事態宣言はメッセージを送り間違えた
・首都圏では 2021年1月7日に二度目の非常事態宣言が出されたが、夜8時までは(前回はクローズした)百貨店、ショッピングセンター、エンタメ施設なども開けていたため、「昼間は普通に暮らし、夜8時までに家に戻ればいい」と理解され、昼間の活動量が減らなかった。
・多数の感染者がでながら観客を入れて行われた相撲の初場所、市民からの反対があったため中止されなかった横浜市の大規模成人式@アリーナなど、大規模なイベントも行われ、「不要不急の外出自粛」というメッセージが有名無実となった。
(2021/1/11に追記)
現時点では以上です。
新型コロナは現在進行中の事象なので、このエントリも随時更新です。
成功点が増えていくことを祈ります。