最後の30年をどう生きるか

※ 映画「ノマドランド」のネタバレを含みます。ご注意ください。

★★★


アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞の3つを受賞したノマドランドという映画を観ました。
searchlightpictures.jp

小説の原題は「漂流する高齢労働者」ということで、観る前は「貧困や格差といった社会問題を告発する系の社会派映画かな?」と思っていました。

でも、観た後の印象はまったく違いました。

もちろんそういった問題提起も織り込まれているのだけど、どちらかというと、「人生最後の30年をどう生きたいか」ということをあらためて考えさせられる、むしろポジティブな映画だったと思います。

絶賛されている映像美や、ふたり以外はプロの役者ではなく、本物のノマド生活者だという点は確かにすごくて、監督の力量は誰もが驚嘆するレベルだと思います。

が、私にもっとも響いたのは、「子供夫婦と共に(もしくは近くに)住み、毎日、孫と戯れながらキレイなおうちですごす最後の30年」を、本当にすべての人は望んでいるのか? というメッセージだったと思います。

そういう生活をしている(同じく高齢の)姉が、高齢になってもノマドを続ける妹に「私たちはそんなに退屈か?」と問う場面がありました。

主人公は(おそらく配慮から)「そんなことないわ」的な答を口にするのですが、

その瞳は「私には、人生最後の30年を子供や孫と季節のイベントを毎年同じように楽しみながら過ごすなんて、退屈すぎて耐えられない」と言っているように見えました。

私(ちきりん)はノマドではないけれど、安全で平和な「絵に描いたような幸せ」にあまり魅かれない、という点では、同じなのかもしれない。

必要以上に悲惨さを強調せず、必要以上に自由さを強調しない、とても素敵な映画だった。

★★★

テレビで「フロリダの退職者コミュニティ」を特集する海外ドキュメンタリーを観ました。

これも非常におもしろかった。

www.nhk.jp

ビレッジズと呼ばれる退職者コミュニティ(てか村? 街?)は、NYやシカゴなど北部の豊かなお金持ちたちが退職後に移り住んでくる分譲型(賃貸もある)住居コミュニティで、

スポーツ施設や娯楽施設、レストランからゴルフ場まで、すべてが近隣に(カート的な小さな車で移動できる範囲に)揃ってる。

高齢者たちはここで「働き続けてきた自分たちへのご褒美」として、毎日たのしく充実した日々を過ごしています。

それはまるで、人生最後の30年にふたたび訪れた「青春」の日々で、もちろん恋愛や再婚もたくさん行われてる。

なおこちらはドキュメンタリーなので、「ものがたり」ではなく「リアルな話」です。

でも後半に明らかにされるいくつかの「事実」が、このコミュニティの不気味さをジワジワと視聴者に突きつけます。

「ビレッジズでは、どれだけお金を持っているかによって、コミュニティが別々に形成されている」

「救急車は、ビレッジズの入り口ゲートを入った後、サイレンを消して走る。もしサイレンを鳴らしたまま走ったら、余りに頻繁にサイレンが鳴り響くことになるからだろう」

「ビレッジズの住民にはマイノリティがほとんどいない。その大半がホワイトと呼ばれる人たちです」

「ビレッジズでは専用の新聞まで発行されており、住民たちの耳に入る情報は極めて画一的で偏っている」

・・・・

おそらく、こういう人たちの票が、トランプ氏がフロリダで勝つことを助けてきたのでしょう。

アメリカでは、「老後は暖かいフロリダで!」と考える人たちがたくさんいます。

みんなそのために必死で働き、資産運用にも取り組みます。

この「最後の30年」にあなたは憧れるでしょうか?

★★★

最後にみたのは、昨年の末に起こった「渋谷・女性ホームレス殺人事件」の被害者の人生を追ったNHKのドキュメンタリー。

www3.nhk.or.jp

渋谷区のバス停の小さなベンチで夜を過ごしていた(おそらく)ホームレスだった60代の女性。

近隣に住む40代の男性から突然、石の入った袋で殴られ、命を落としました。

「自分の家の近くにホームレスがいるのは目障りだった」という男性。

殺す気はなかったと言っていますが、かなりガタイのよい男性であり、60代の女性のアタマを石で殴っておいてそれはないやろと思います。

裁判所にはちゃんと、未必の故意を認定してほしいところ。

さて、
リンク先の明るい笑顔の写真からも想像できるように、この女性、20代の頃は舞台俳優をしていたり、アナウンサーや声優を目指していたり、性格的にも明るく活発な人でした。

アナウンサーや声優や役者として食べていくことが不可能とさとった後は、いろんな仕事をしていたようですが、リーマンショックなどもあり、ネットカフェ生活を経てホームレスになったと推測されています。

とどめを刺したのがコロナ。

最後の頃、スーパーの試食販売員として生活費を得ていた彼女は、コロナで試食販売が中止されると仕事を失い、夜はバス停のベンチで休むしかなくなります。

一ヶ月前くらいから、夜になるとキャリーバッグと共にバス停に現れていた女性。

近所には「バスの走っている時間帯には現れない。バスを利用する人に迷惑をかけたくなかったのでは?」と話す人もいました。

NHKの番組ナレーションは「近所には彼女の存在に気づいていた人はたくさんいたけれど、声をかける人はいなかった」と言っていたけど、

実際、自宅近くのバス停にそういう人がいても、声をかけるなんてハードルが高すぎません?

真夜中、バス停で下を向いてじっと動かない女性に、なんと声をかければいいのか?

なにかあるとすぐ「ご近所のコミュニティの力で社会問題を解決しよう!」と呼びかけるNHKですが、

正直、「超てきとーな呼びかけよね」と感じてしまう。


それより、最近のバス停や地下鉄駅のベンチが、どこもかしこも「横になって寝られないよう」設計されてることを、私たちはどう思うのか。

つまり、公共交通機関自体が「ホームレスが寄りつかないよう」必死の努力をしているわけです。

30年前、欧州の地下鉄の椅子はすでにそういう作りになっていて、当時はまだ「横になりやすいベンチ」が多かった日本から訪れた私は、

「ホームレスが多いと、椅子がこんなに座りにくくなるんだ!」と驚いたわけですが、

過去10年で、日本のベンチも一気にこの形態に置き換わりつつあります。

リーマンショックとかコロナショックとか、

経済危機が起こるたびに増える「家を失う人たち」

そして、その人たちを拒絶するために増える「座りにくい椅子」

社会はホームレスを「とにかく避けたい」と思っている。

この女性のことを「目障りだった」と表した犯人の男性と、この椅子の設計思想は、ほとんど同じだとはいえないでしょうか?

椅子を座りにくくするなら、せめてその椅子に「生活に困っている方は、ひとりで悩まず○○までご連絡を!」的なステッカーくらい貼ったらどうかな。

拒絶するだけでなく、せめて「根本的な問題への取り組み」を、公共(交通)機関には望みたい。

★★★

この女性も含め、日本でホームレスになる人の多くが「助けを求めない」んだよね。

公にも、家族にも、助けを求めない。

「声優やアナウンサーや俳優を目指して上京し、夢を実現すべく頑張ってきた自分の生き方」は自由なものであり、

その自由とセットになった「失敗したときの負担」を、誰か他人にとってもらうなんて、ありえない。

そう思っていたんじゃないかな。

その気持ちはよくわかる。


私もいま、ものすごく自由に生きている。

もし私が1年後、誰かの支援がなければ生きていけなくなったとき、「助けて!」と言えば、「なにいってんだよ! さんざん好き勝手に生きてきたくせに!」と思う人もたくさんいるよね、きっと。

それでも私は、助けを求めてはいけないのだろうか?

自由に生きるということは、困ったときに、誰にも助けを求めちゃいけないってことなの?

★★★

ちなみにこの女性、出身は広島県で、地元で短大を出た後、舞台俳優などをしながらアナウンサーや声優を目指してたと言われてます。

その後20代後半で結婚を機に東京に出てきたんだけど、夫の暴力が原因で1年で離婚。

私にはこの結婚も、東京に出たいがための結婚だったんじゃないかと思えてしまいます。

声優を目指すなら東京に行かなくちゃと考える人はたくさんいる。

でも地方に住む若い女性にとって、東京に出られる機会はそんなに多くない。

私は大学進学時に東京に出てきたけれど、「この機を逃すと東京には出られない」とも感じてた。

暴力を振るうような人と結婚して一年で離婚することになった背景にも、「大好きなこの人と一緒にいたい」という以外の考えもあったんじゃないかなと想像してしまう。

少なくとも彼女は、とても積極的に自分の夢を追い求めてる20代だったんじゃないかと。

★★★

以上、

最後の30年について、すごく考えさせられる3つの映像(ひとつの映画とふたつのテレビ番組)だった。

ノマドとして(ハタから観れば厳しく貧しい生き方だけれど)何にも=土地にも家にも縛られない人生最後の30年

稼いだお金を存分に活用し、まるで若者に戻ったかのように第二の青春を謳歌するフロリダ退職者コミュニティで暮らす最後の30年

夢を追った人生の代償として、なにがあってもひとりで耐えて生き抜こうとする最後の30年(の入り口で殺されてしまった女性)


人生最初の30年には、ここまで大きな違いは存在しない。
いや、
違いはあったとしても、それは本人のチョイスじゃない。

でも人生最後の30年には、ほんとうにいろんな選択肢があり、ほんとうにいろんな人生がある。

そんなことを考えた。

私は、そしてあなたは、最後の30年をどんなふうに過ごしたいと思っているのでしょう?


 そんじゃーね