成功の定義が違う

大絵巻展(京都博物館)に行ってきました。国宝の鳥獣戯画や源氏物語絵巻を始め、超有名絵巻がそろって展示されるとあって、すごい人気でした。

私は午前中に行ったので入場待ちはなく、内部で30分くらい並んだだけですが、観賞を終えて帰る頃には「博物館に入るための列」が1時間、入ってから観るまでに40分待ちとなってました。

平日でこれですから土日は推して知るべし。最近は東京で行われる絵画の企画展でも、平日に入場制限がかかるほど混雑するものが少なくありません。これから団塊世代が引退すれば益々こういった企画展を訪れる人は増えるでしょう。なにかよい工夫はないのでしょうか?


問題を整理すると、

(1) まずは混雑の偏りです。平日でも入場制限がかかるような展覧会は、土日はまともに観賞できない状態でしょう。また企画展の場合、期間の最後の頃にいきなり混み始めることも多いです。

(2) 二番目は、内部の動線デザインや展示手法の問題です。特定の目玉展示品を観るための列が、他の作品の観賞スペースを占領するような配置は最悪ですし、回遊動線が混乱し、一部のみに渋滞が起こっている展示会もあります。

今回も、入場者のお目当てである鳥獣戯画と源氏物語絵巻には専用の列が作られ、その列が「他の作品の展示室」まで延びていて、関係のない場所まで混乱していました。

(3) さらにいえば、絶対数として観客が多すぎる、という問題もあります。これは開催期間、開催都市数、会場の選択に最初から問題があるからだとも言えます。

今回の展覧会も京都のみの開催でした。こういうものが見たい人は、京都観光に行きたい人と同一セグメントなので、東京を始め日本全国から観客が集まるのに、会場は本当に小さなところでした。他の都市で開催ができない理由があったのかもしれませんが、これがあまりにもお粗末な結果につながっていました。


これらの問題の解決方法はないのでしょうか?

たとえば、土日と平日の入場料に格差をつければ、「仕事を早めに終わらせて平日に行こう!」と思う人がでてくるでしょう。開催期間後半の値段を高くすることも有効な方法だと思われます。

さらに、時間区分ごとに予約入場を受け付ければ、時間ごとの入場者数をあらかじめ平準化することもできるはずです。電話でそんなことをやっていてはお金がかかってしかたありませんが、ネットなら一度システムを作ってしまえば運用コストは高くないはずです。


また、平日も入場制限が行われるような展示会は最初から需給が合っていないのですから、開催時間をできるだけ延ばすことを考えるべきです。

たとえば開催都市(場所)に、都心の美術館の他、人口の多い東京西部での開催が加われば混雑は大幅に緩和できそうですし、開催日程がのばせないなら、より多くの夜間開催(夜22時までオープン)や早朝開催(朝6時から開館!)を検討することはできないのでしょうか?都心なら、会社員の人で業務前の1時間を美術鑑賞に当てたい人もいると思います。


展示場の工夫については、いくらでも方法がありそうです。パリのルーブル美術館でも、モナリザには世界中の団体客がひっきりなしに押し寄せます。だからその部屋だけは特別にだだっ広く、入り口と出口の動線もきちんと設計され、遠くからでも見えやすい位置にモナリザは微笑んでいます。

そのほか、小さな財宝を展示する場合でも、一番前の列は「歩きながら見る人の列」とし、その上に一段高い「立ち止まって観賞したい人の列」を作っている博物館もあります。拡大鏡の工夫で遠くからでも大きく見えるようにすることも可能でしょう。

企画展ではなく常設の美術館ですから投資できる自由度も大きいのでしょうが、まだまだできることはたくさんあると思います。


★★★


ところで、美術館や博物館、もしくは企画展などの「成功の定義」とは何なのでしょう?当然ですが、観客が少なくて「待ち時間もなく空いていて観やすかった!」ことが展覧会の成功を意味するはずがありません。

一方で「予想を超える○十万人の来場があった。」と聞くと「大成功!」というイメージを持つ人もいそうですが、「入場客数が多いこと」が美術展等の成功を意味するわけでもないと思います。

ちきりんの超独断で書いてしまえば、成功かどうかは、「観客が、展示された作品のもつ力を存分に感じることができたかどうか」によって判断されるべきだと思います。

1時間もの列に並んで疲れ切った足で、大勢の人に押されながら、作品の放つ力を十分に受け止めるなんて不可能です。

フィジカルにはリラックス、メンタルには高揚感を感じられる環境を整えてこそ、そういうことが可能になります。だから、1時間以上もかかる長い列を作らせては「展示会の成功」なんてありえない、と思うのです。


文化というのは、本当は経済合理性の対極にあるべきものなのに、その世界においてさえ「入場客数」という、サイズを表す数的な指標が成功の基準のひとつとされていること自体が、とても皮肉な話だと思います。


ではまた明日