長野県 田中県政について

「長野県知事の田中県政っていったいなんだったの?」ってのに関心があったのだが、先日、極めて間近でその状況を見ていた人と話をする機会がころがりこんだ。

ということで、そこで知ったこと、学んだこと、考えたこと。記録しときます。

★★★

(1)田中氏が勝つか、村井氏が勝つかは、かなり中枢にいる人でも、わかってなかった。
これはひとつの発見でした。ちきりんは、「全国レベルだとわかってなかったが、長野にいる人はもう皆(田中氏が今回は勝てないことが)わかっていたのかも?」とも思っていたのですが、そうではなかったそうです。

「田中県政は確かにひどかった。でも、選挙民がそれをどこまでわかっているかは疑問だった。それに、対抗馬がひどかった。こんな69才の郵政造反議員でも勝てるほど田中県政が選挙民に見放されているということは、私たちでもわからなかった」とのこと。

ふううん、そうなんだ。ってことは、田中氏も勝つつもりだったのだろうし、周辺の人も「青天の霹靂」ってことですね。

★★★

(2)しかし、田中県政は「本当にひどかった。」そうです。
最後の2年間は「完全に崩壊していた」とのこと。崩壊の理由は「まともな人が全員いなくなったから。反対に、とんでもない取り巻き連中ばかりが重用されはじめたから」暴走にはどめがかからなくなったと。

話を聞いていると、ソビエトのスターリン粛正や金日成の反対派粛正の様相を思わせる状況でした。気に入らない県職員は、地方にとばされるのはもちろん、一切県庁の建物に足を踏み入れることも許されなかったらしい。また彼をもともと支えてきた多くの市民活動家が、今回は「村井氏に草の根選挙のやり方を指導、伝授した」そうです。かなりの恨みをかっていた、ということでしょうね。

田中氏の思いつきを、おべんちゃらと無批判な「賛成賛成、いい案ですね〜」で褒め称える「実務的には何もしない」「が、密告ばっかりしている」人だけで、日々、適当に仕事をしていた、ということらしい。ん〜、悲惨。

★★★

(3)彼の県運営が機能しなかった根本原因は何か? ええっと、ふたつあります。


ひとつめは、「田中氏には組織を動かした経験が全くなかった」こと、です。
彼は、大学をでてほんの数ヶ月会社勤務をしただけですぐ退社し、あとはずっと作家。かなり早い段階で本が売れているので、基本的に「ひとりで自由にやってこれた」人なんですね。「組織人」に向いてない一匹狼系のキャラ。その元々の性格に加えて、売れている作家は、出版社や周りのひとにとって「王様」として振る舞うことができた。そういう経験しかしたことない人、なんです。

ところが県知事というのは「リーダー」という側面の他に「組織の長」という役割をもっている。行政の長なわけです。しかも、大組織です。市町村でも「それが初めての組織」という人には大変だと思うけど、いきなり「県」なんて「でかすぎ」ます。

田中氏には、組織がどう動くかという経験値も、組織をどう動かすかというスキルも認識もなにもなかった。まるで「無免許で大型トラックを運転し始めた」状況だったのです。


組織スキルと組織経験の欠如、これがひとつめの理由です。

★★★

もうひとつの理由は、彼が「近代的な資本主義経済」を信じてなかったこと、です。

田中知事といえば「脱ダム宣言」が有名ですが、この「公共事業でダムを造らない」というのは、結論としてはちきりんも田中氏も同様なんですが、その理由が全然違います。

ちきりん的には、「地方に雇用を確保する方法として、都会の人の税金で、無駄な社会資本を整備する手法はもう時代遅れである」という考え方に基づいて反対です。これは竹中氏とかの考えと同じです。

田中知事がダムを造らない理由はこれとは全く違います。(と、今回わかったんだけど。)彼は、「自然が好き」なんです。「自然をできるだけ自然のまま残すべき」なんです。「大規模開発」は(それが何であれ)大反対!なんです。


この違い、うまく伝わっているかしら。頭の中で考えていることを、他の人に、文章だけで説明するのって、本当難しい。


ええっと、ちきりん案だと「地方にも産業を整備して雇用を確保すべき。つまり、経済発展を支援する方向での産業政策が必要である。だけど、方法はダムなどの建設工事ではない。寧ろITとかフロリダ化(引退後村)、大規模有機農業とかでしょ!」という考えです。

田中さんは違います。「経済発展なんかしなくていい。昔の生活の方が人間は豊かなのだ!みんな無農薬の野菜を食べ、不便でもスローな生活をエンジョイしよう!!」という考え方です。


彼には、いわゆる「産業政策」が皆無でした。完全に欠如していました。「無農薬のブドウでワインを県の名産品に」ってのは、産業政策ではなく、スローライフの小道具です。


ここが大きな勘違い。エコだのスローライフだのってのは、「金持ちだけが楽しめること」なんです。お金がある人しか無農薬の野菜や和牛を食べることはできません。貧しい人は安い農薬たっぷり野菜と安い米国産牛肉を食べざるを得ないんです。大金持ちのニューヨーカーがベジタリアンになり、大金持ちのハリウッドスターが「環境のため」競ってプリウスを購入しているのと同じです。

田中氏はそこがわかってなかった。「彼自身が、圧倒的にバブリーな生活を20年もすごした後で、そういうものに辟易とし、“エコで自然な生活こそがあるべき道!”と確信していたから」です。まるで世の中の人全員が、自分と同じ生活をしてきて、彼と同じ考えに達しているはずだ、達するはずだと勘違いしてた。

つまり、彼の目指すものが県民の目指すモノと完全にずれていた、ということでしょう。彼は「エコユートピア」を目指し、産業政策を全く打たなかったのです。むしろ、そういうものに全く関心がなかった、とも言えます。「経済発展なんてもう不要」と思っていた。

長野県内の倒産も失業率も大幅アップ、自殺数も増加、ベジタリアンだからではなく、お金がないから肉を買えない家が出てくる状況になってきた。景気がいいのは、田中知事が「完全に無視」した「トヨタ」経済圏である県南部だけ。なのに、企業も産業政策も無視した。

★★★

「組織スキルが完全欠如」した「資本主義を信じていない空想家」に県運営は不可能であった、ということでしょう。

★★★

最後の疑問。(4)なぜ2002年の出直し選挙の時は、圧勝だったのか?

理由はふたつ。
1,「あの頃は、まだまともな人が彼を矯正しようと頑張っていた」
2.「あそこまではいずれにせよ“破壊の段階”だった。その後の4年間が“再構築”の時代だったのに・・・」
ということです。


なるほど。



ここに書いたことが、他の方にとって、どれくらい「納得性の高いこと」かどーか、ちきりんには判断できません。でも、ちきりんにとっては、すんごいクリアで、すんごい納得できる答えでした。



それにしても悔やまれるのは(1)だと、いうことです。もしも、田中さんが「村井さんでも勝てるくらいに」弱体化していると「読める人がいたら」、村井さんではなく、もっと若くて、選挙に出てみようと思った人はたくさんいたでしょう。彼らは「田中氏には結局勝てないだろう」と自分で判断してしまい、自分で手を下ろした。今頃地団駄を踏んで後悔している人はたくさんいるでしょう。でも、「ああしておけば」ではダメなんです。

行動したことによる後悔は常に、行動しなかったことによる後悔より、余程マシで価値がある、と。まあ、昔風に言えば、そんな感じでしょうか。


ではね。