メトロポリタン美術館

昨日の続きです。

NYのメトロポリタン美術館は、ちきりんに「美術館の展示方法には価値がある」と気づかせてくれた初めてのミュージアムです。

昨日書いたように、展示方法について、なんらか「自然な方法」が存在するミュージアムでは、「展示方法」それ自体が独立して構成され価値を持つ、のは持つんですが、それが外部にわかりにくい。

メトロポリタン美術館は、展示方法を工夫しないと「なんで、これが、ここに?」ってなる。だからいろんな工夫をする。

それはもう“工夫”のレベルを超えていて、きちんと学問として成り立っているわけです。


この試みが成功しているか否かについて、なのですが、ちきりん的には「成功はしていないが、なかなか頑張っているし、それなりの意義はある。」と思います。

昨日も書いたように「その場の雰囲気の再現」は、やはり本物を見たことのある人、現地に行ったことのある人から見れば、フェイク、偽物にすぎない。

一番伝えられないのは、それはもう仕方ない話ではありますが、「湿気」や「空気」です。アンコールワットの、インドのお寺の仏像をいかに工夫して展示しても、あの重い、湿気とほこりに満ちたアジアの空気を伝えることはできない。



それから「空間の広がり」も伝えられない。中国の庭って、日本の庭園とは全く異なる。緑の街の設計と言ってもいい。広大なオープンな空間設計。それは人間が人形となる箱庭だ。中国の「庭」を見て、ちきりんは初めて「日本の庭」が「日本独自のものなのだ」と理解できた。あれは中国から来たものとは全く違うものだ。「庭で遊ぶ」という概念も、中国で「庭」を見て初めて理解できた。


たとえば、中国の庭につきものの“借景を利用した覗き窓”。本物のそれは、壁をくりぬいた窓と、その向こうにちょっとした竹を植えて照明で照らしたくらいでは再現できない奥行きと広がりを持っている。その向こうにある、広大な湖と長い長い渡り廊下と、強烈な日の光と・・って、そういうものが、展示ののぞき窓には当然のことながら存在しない。

偽物は、乾いていて、きれいで、せせこましい。


反対もあるです。湿気だけではなく「乾燥」も表現できない。

エジプトの神殿に立ったとき、髪の毛に肌に鼻孔に常に吹き付ける砂の粉を、メトロポリタン美術館で再現することはできない。

「うさんくささ」も体感できない。「腐敗したモノのにおい」も遺跡につけられた多くの「手垢」も、NYで一番の美術館は再現できない。

だから、仕方ないけど、嘘っぱちだ。


なんだけど、誰もがちきりんみたく「あちこち実際に自分の足で行ってみる」なんてできない。当たり前だ。ちきりんだって、たとえば子供の頃にそういうものを見ていれば、今とは違った人になったかもしれないが、それを子供の頃に見ることは不可能だった。

でも、もし、メトロポリタン美術館の近くに小さい頃から住んでいたら?


そういうものを「体感」しながら子供時代を過ごしていたら?


違う人生だったかもしれない、と思うのだ。


もしかしたら、「探検家になりたい」とか「考古学者になりたい」とか、そういうんでなくても「これが生まれた国に留学してみたい」とか、そういうふうに考えたかもしれない。

古代のネックレスをみて、アクセサリーデザイナーを目指したかもしれないし、中世欧州の家具をみて家具職人になりたいと思ったかもしれない。いやもっと直接的に「美術館で働きたい」とか「オークションの仕事をしたい」とか思ったかもしれない。



でもちきりんは子供の頃に、そんな世界があるなんて全然知らなかった。知らないモノになりたいと思うことも、憧れることも、人はできない。


こういう国のこういう地域に住まうことの価値は、リアルに得ようとすれば多大なる時間と資金が必要となる「圧倒的に多彩な世界の広がり」を、たかだか10ドル程度で見ることができる、ということだ。

たとえそれが、少々偽物であったとしても、です。そういうものを、そういう距離で見られることの価値は、計り知れない、と思います。


★★★

勝ち組と負け組ができてしまう最大の理由は「物差しが単一である」ことによる。生まれた時から複数の異なる多彩な物差しが提示されていれば、全員が同じトラックで競争するという世界にはならない。


田舎に生まれると、「サラリーマンか公務員か郵便局員になる。もしくは、家業を継ぐ」という未来しか見えかったりするわけです。

「私はパタンナーになりたい!」とか、「美術館の所蔵品の修理の技術屋になりたい!」とか思えないでしょ。そんなとこで。



・・・に生まれると「貧乏の中に暮らす。もしくは、テロになる」という未来しか見えなかったりするわけです。



メトロポリタン美術館の展示で一番悲しいのは、イラクを初めとする中東の文化の展示だ。
古代文明の様々な出土品が持ち帰られ展示されている。(大英博物館などの展示には全く及びませんが。)

中東の古代遺跡の出土品をこれだけの量と質でここに持ち帰ってあるから、アメリカの子供(アメリカ人の、ではない。)は、アメリカの美術館で中東を「学ぶことができる」


だから、

もう「今の中東」は、爆弾で破壊してしまってもいいと。そういうことか?



メトロポリタン美術館はとても不思議な場所だ。

そこが「何を展示しようとしているのか」、ちきりんは、それをまだうまく言葉にできない。そして「そこが結局のところ何を展示しているのか?」も、まだうまく表現できない。



彼らがそこに展示し、そうだと信じている大半のものが偽物だ。いや、飾ってあるものは「本物」なんだけど、「表現しようとしている世界」が嘘なのだ。


「偽物の世界をまるまま、ひとつの建物の中に再現」しようとしている国がある。いや「できると思っている国がある」と言うべきか。“ふーむ”と思う。



ということです。


そんじゃーね。