一点豪華主義にみる非階級社会

おもしろい言葉だな、と思うのが、「一点豪華主義」とか「プチセレブ」という言葉。

これ「階級や階層のない社会で、経済力が高くなると何が起こるか」をよく表現してると思う。


階級社会だと、景気がよくなったりGDPが大きくなったりしても、貧乏人は金持ちの真似をしない。

たとえば、農家のおじさんが井戸を掘っていたら遺跡が見つかって大金持ちになったとするでしょ。

この人は、そのお金をどう使おうとするかというと、「小作はもうやめだ!自分の土地を買うぞ! 牛も沢山買って(飼って)、もっと陽当たりと水はけのいい所に畑を作ろう!」と思うわけです。

いきなりスポーツカーを買うとか都会にでるとかではなくて、あくまで農家として、どうそのお金を使うか、と考える。

家を建てよう!とは思うかもしれないけどが、それも、自分が住んでいる村に豪邸を建てる。いきなり都会や高級住宅地に行ったりしない。

なぜならそんなところに行っても幸せになれる感じがしないから。

畠も田んぼもない場所に住んでる人たは、自分たちとは違う階層・階級の人であって、自分とその人たちの違いは「金の有無」ではなく、「変えられない何か」だと感じるから。

★★★

んが、

違いが「今持っている金の有無、多寡」だけである社会、すなわち、非階級・非階層社会の場合は、

貧乏人でも「お金さえ手に入れば」、表参道に家を買うとか、ポルシェを買うとか、宝石を買うとかって形になる。

労働者と資本家を隔てるものは「金だけ」だから、お金さえ手に入れば、自分もそういう生活ができる。


これが、プチセレブとか一点豪華主義という形が起こる根本的な理由なんだよね。

★★★

前も書いたけど、とても高級なドレスを売っている店の人が困惑してた。

「洗濯に出したらレースが取れたとか言ってくる客がいる」と。

そんな高いドレスを買う人は、同じドレスを何度も何度も、何年も何年も着ることはしない人たちだという前提で作られてるから、何度もクリーニングに出したりしない。

パンプスも同じ。あんなヒールの高い靴を履いて地下鉄に乗ったり長く歩くことは想定されていない。

自分で運転することも想定外。

ハイヒールは、馬車、ってか、誰かが運転する車に乗って移動する人のための靴なんだよね。なのにそんなもん履いて自分で歩くから外反母趾になる。


こうして、20万円のハンドバックを持って地下鉄に乗り、狭いマンションに100万円のホームシアターを配備し、母親がスーパーでレジ打ちパートをしながら息子をおぼっちゃま小学校に通わせる、という「一点豪華主義」な生活スタイルが登場する。


批判がましく聞こえます?

いえいえ、批判なんてしてないよ。

「なんでも」+「お金さえあれば手に入れられる」というのは、とても民主的。とてもフラットな社会だから。

金の多寡、有無ではなく、「(いくらお金をお持ちでも)ここは貴方の入る店ではないんですよ」と言われてしまう場所の多い国=階級社会に比べれば、ほんとに民主的。



んじゃね。