お伊勢参りしてきました。
今回驚愕したのは、伊勢神宮の仕組みのスゴさについてです。「式年遷宮」は日本の常識という人もいますが、ちきりんは知りませんでした。
伊勢には外宮と内宮があるわけですが、その隣には、それと全く同じ大きさの空き地があるんです。
その空き地に、20年ごとに全く同じものを建て、できあがったら古い方を取り壊す。そういう形で20年ごとに、東と西の敷地に交互に宮を置いてきたらしい。
しかも、
「それを過去 1300年ずっと実施してきている。」とか(アメリカが建国する 1000年以上も前から!)、
「内宮、外宮の建物だけではなく、御垣、鳥居、橋、内部の布品なんかも全部新しく作り直します」とか
「前回の遷宮の費用は 380億円だったけど、次の遷宮の予算は 550億円です」とか言われた日には、まーじ驚きました。
一番興味深いのは「前回は誰が 380億円出したんだ? 次は誰が 550億円出すんだ?」ってことです。だって政教分離なんだから、今は税金は投入できない。ということは、宗教法人である伊勢神宮の収入でまかなうわけです。
でも 20年で 550億円って、毎年 27億円以上を 20年間集め続けるってことなんですけど。。そんな多額の寄付が集まるの?
いや、寄付をする人がいるのはわかります。しかし、額としてすごすぎないでしょうか? 全国の神社からの上納金があるたって、全国の神社自体がたいしてお金ありげに見えないんですけど・・。
伊勢神宮の方に「すごい額ですね」と聞いてみたら、「でも、年金の無駄遣い等で報道されている額に比べると、たいしたことありませんよね」と言われました。
そっ、それと比べるんですか???
驚いた。
恐るべし、伊勢神宮
ライバルは国家財政
★★★
その他にもいろいろ驚いた。
過去 2000年近くの間、朝と夕には毎日 6つの宮にご飯が献じられ、季節ごとに相当数の“祭”(農業のサイクルにあわせてのイベント)が行われてる。
「伊勢神宮で働いている人ってどれくらいですか?」と聞いてみたら「全体だと 500人、(神様に)お仕えしているのは 100人程度」とのこと。
500人の人件費が一人 500万円として、年間の人件費だけで 25億円。総経費の 3分の 1が人件費だとすると、全体で 75億円の運営費。それに 27億円の積立金が必要。とすると、毎年コンスタントに 100億円を超える収入があるってことですね。
ひや〜
「一生に一度は伊勢に!」という超パワフルなスローガンを日本中に広めた“何か”がなければ、こんだけのお金は集まらないよね。
「一生に一度は高野山」とか聞いたことないでしょ? 「一生に一度はお東さん」も「一生に一度はお江戸」も聞いたことが無い。未だかってこの国で「死ぬまでに一度は行きたい場所」という枕詞で呼ばれた地は、伊勢しかないんです。
で、なぜ「伊勢がそこまで特別視されたか」といえば、それは単なる伝統だけではなく、やっぱりきちんと仕組まれて、そうなったんだという気がします。
伊勢に行っていろいろ見学してわかったのは、御師、伊勢講、抜け参りなどなど「伊勢を特別にするための仕掛け」が実にたくさんあったってこと。
欧米諸国が植民地を安定的に支配するために、キリスト教の宣教師を世界中に送り出したように、伊勢の御師は日本中に伊勢への布教に出かけていました。
「伊勢講」ってのは一種の旅行積み立て募金なんだけど、当時の庶民は、ひとりひとりは貧乏すぎて伊勢にいけないので、「全員のお金を持ち寄って、代表として一人でも伊勢に送ろう」と考えたわけです。食べるに困るほど貧しい人たちが、そこまでして行くべきところだと認識させた伊勢ってスゴイでしょ。
抜け参りに至っては、移動の自由が制限されていた時代に「伊勢に行くために家出した場合のみは、お咎め無し」みたいな制度で「どこまで特別やねん?」って感じです。
その裏には、“ものすごい大がかりな宗教マーケティング”というか、“作り込まれた伊勢神宮伝説”というか“強固なる信仰を支える超緻密な仕組み”が存在してる。
そしてその結果として「いつかは伊勢」「死ぬまでに一度は伊勢」と言われ、その結果として 550億円の寄付がある。
単に神道の総本山だから、天照大神だからとか、天皇家の神社だから、などという精神論的な理由では、 550億円も集まらない。
★★★
あとね。この式年遷宮が 20年ごとというのにも、大きな意義があります。これは「伝統技術や儀式、その作法や芸能を守るための 20年」なんです。
式年選球の際には、宮大工さんが内宮などの正殿や御垣、鳥居なんかを作るわけですが、これが 100年ごとだと、前にやった人がいなくなってる。そうすると技の継承ができない。
ところが 20年ごとに遷宮すれば、20才代で初参加、40才代で中核人材として参加、そして 60才代で頭領として正殿建築を率いる。これだと、1300年間、伝統の技、一流の技能が承継できるんです。
宮大工だけじゃありません。木細工や機織り、絹作り、料理方法などなど、内部の装飾や小物もすべて作り直すわけで、式年遷宮が 20年ごとに行われるおかげで、多種多様な伝統技術を絶やさず次の世代に伝えることができる。
この仕組みの巧みさにも感動しました。
単に「 20年使ったら古くなるから建て替える。新しいのに替える」ってことだけじゃないんです。
どんな世界でも、超有名なブランドとか、超強固な慣習とか、どれもこれも“自然に”できあがったりはしていない。
“仕掛け人”が、いろんな細かい仕組みを、大きなひとつの目的のためにきちんと設計してて、それが成功して長い期間の後、誰もがひれ伏す確固たるブランドが作り上げられる。
伊勢はその仕組みがすごい!
もちろん、神宮そのものもすばらしい場所でした。精神が洗われるような清々しい凛とした緊張感があって、まさに“神様のいらっしゃるところ”という雰囲気を醸し出しています。
まあそういうわけで、
伊勢エビ食べて
松阪牛食べて
鳥羽の温泉でまったりしつつ
伊勢参りしてきました。
また明日。