“格安生活圏”背景解説

過去3回にわたり“格安生活圏”について書いてきましたが、賢明な読者の皆様は「なるほど」と思われると同時に半分くらい「これまじ?」とも感じられていたと思います。たくさんの方が読んでくださっているようなので、その辺、ちょっと解説しておくです。

最初に結論だけ書くと、初日の「もうひとつの解」は大まじめ。2日目の「格安生活圏ビジネス」はまあ半々。そして最終日の「F本氏の独白」は大半がネタ(ブログの更新がぷっつり途切れる点も含め)です。というかスタイルとしてネタ、かな。


では細かく解説していきましょう!(って、なんだよ、偉そーに!)



初日の「もうひとつの解」について。
大半本気で書いています。日本は“基礎生活費が高すぎ”です。貧困問題の解決方法として、景気をよくするなり雇用状況を改善するなりという方向(は大事だと思いますが)のほかに、「低所得でもある程度楽しく生きていける環境を作る」という“もうひとつの解”を併用すべきだと思っています。より正確には「併用せざるを得ない」と思っています。

具体的には、公的セクターが老朽化した民間のアパートを買い取り、敷金礼金なし、週払い、同居人許可で貸し出す、などの方法も含め、低コスト住宅の供給を大幅に増やすことです。これは東京や名古屋、大阪では相当規模で必要であり、それらはできるだけ庶民的なエリア(安い定食屋があるエリア)にすべきだとは思います。

とにかく住宅費を下げないと社会保障に頼って生きざるを得ない人、ホームレスに陥る人、ぎりぎりの生活を余儀なくされる人をむやみに増やしてしまいます。特に今まさに始まりつつある“非正規雇用の大削減”に対応するためには緊喫の課題だと思います。少なくとも例の2兆円は日本全国にばらまくよりはこちらの対策に使うべきお金だと思います。



二日目の「格安生活圏ビジネス」ですが、
様々な企業が“低所得者層”をひとつの「ターゲット顧客層」として注目しはじめていることは事実です。なので、そういった市場はある程度でてくると思います。

たとえばすかいらーくが今後は事実上「ガスト」のみを残していく方針をだしたようですが、最初は“すかいらーく”だけだったのに、途中で市場ニーズに対応するために低価格店舗の“ガスト”を開発し、今後はそれのみを残していくという方針は、彼らがターゲットとする顧客層が少なくとも1段階は切り下げられたことを示しています。

最近なにかと名前のでることが多いサイゼリアも1年ほど前に友人に連れられていきましたが、メニューに展開されたその価格帯はこの店がどういう層を主要顧客と考えているかを明確に表してると感じました。おおっぴらには発表しないけど、多くの食品、生活用品のメーカーや流通企業も同じことを考えていると思います。また教育サービスに関しても同じようなコンセプトのものは間違いなくでてくると思います(たぶん、既にあるんでしょう。ちきりんが知らないだけで)


というわけで、そこまではアリだろうと思いますが、格安生活圏ビジネスがある程度発達したとしても、それにより子供が増えたり老人介護問題が解決するか?というと、少なくとも短期間ではなかなかそこまでは難しいでしょうね。一気に“三丁目の夕日”の時代(大家族モデル)に日本が戻ることができるか、ということですからね。戻りたいと思っている人は実はそこそこいると思うので絶対無理とは言いませんが、もっと複合的なビジョンと方策が必要だし、それにしても相当の長期間かかりますよね。

むしろここで言いたかったことは、“教育費に関しても(他の基礎生活費と同様)あまりに基礎教育費が高すぎる”のではないか?ということでした。そしてそのために、本来は貧しいほど子だくさんの方が有利ともいえるはずなのに、(育てるコストが高いために)貧しいから子供をもてない、という状況に陥っているということを反対の方向から書いてみた、って感じです。



3日目ですが、F氏の“政策”は実際には不可能です。
一定エリアの地価を“政策的に”下げることが可能だとは実は思っていません。それらの政策は、家主だけでなくそのエリアのすべての住民の財産を毀損してしまうからです。たとえばゴミ処理場の新設などと同じです。多くの人がその必要性は認めるものの、自分の家の近所に欲しいという人はひとりもいません。格安生活圏も、そういうものが必要なのではないか、と思う人はいても自分のエリアがそうなってもいいか、と言われると反対する人が圧倒的に多いであろうことは当然でしょう。*1

ただし、自然発生的にそういう地域ができてくることは可能性があります。そしてその場合、そういったエリアの首長に選ばれた人がF氏的な政策を採用することはあり得ます。いったん格安エリアになってしまえば、これらの政策も“よりよい方向”への政策に過ぎないからです。

なので結果的にこの3日目に書いたようなことが起こりえる可能性はあるのですが、ここではF氏がそれを掲げて政策を推進したような形でストーリーを書いています。これは「ない」と思ってます。すみません、ややこしい書き方して。

★★★


で、じゃあ「政策論的な展開はないよね」と思いつつも、ちきりんが3日目をああいう形で書いた理由は何か?

もしくはF氏の独白を読まれた方の中にも、実現性には懐疑的ながらも「これもアリかも」と思われた方もいらっしゃったかもしれないのですが、それはいったいなぜなのか?


実は説明的な文章で書くよりも、ああいった独白の形で書く方が“具体的な詳細”を書けるかな、と思ったので、ああいうスタイルで書いてみたのです。具体的な詳細を書けば、多くの人に、
「もしかして日本ってオーバースペックなんじゃないの?」
って感じて頂けるのでは?と思ったので。

その感じを伝えたくてああいう書き方にしてみたのです。つまり、


この国ではすべてが不必要にオーバースペックになっているために、無用に最低生活コストが高くなっている。それが多くの低収入者層を苦しめているし、社会福祉費の増大にもつながっている、と。

先日来どこかのブログで話題になっていた「日本は高機能で高価格の家電ばかり」というのと同じで、オーバースペックというのはこの国の大きな特徴です。

家電だけではありません。道路も道路標識も“老朽化して壊れてる”のなんか見たことないでしょ。全部“壊れる(ずっと)前に新品に取り替えてしまうから”なんです。もしくは日本の道路は穴ひとつあく前に全部掘り返して舗装し直すんです。特に年度末にはね。

車検だって、本当にあそこまでのことが必要なんでしょうか?

ここまで完璧に停電も断水も起らないインフラにするには、他の先進国よりいったいどの程度多くのメンテナンス費用を掛けているのでしょう?

あまりに生鮮食品が(工業製品のように)形が揃っていないですか?不揃いの野菜がひとつもできていないということなんでしょうか?それらを分別する手間、コストは誰が負担しているのでしょう?イチゴ並び変えてるのは誰やねん?と。

異常に頑丈で、異常に高機能で、異常に見た目が整っていて、異常に行き届いていて、異常に過剰包装で、他国の3割増しの値段。みたいなね。しかもマンションでも家具でも、格安な中古ではなくやたらと割高な新品が好まれる。


3日目のエントリを書きながら、こういうの具体的に読むと「今って何でこんなオーバースペックなんだよ」とか「よく考えたら、ここまでする必要ねーじゃん」とか「安くなるなら、イチゴとかバラバラでいいんじゃね?」とか。そう感じてくれる人、多いんじゃないの?と思って。


今の日本の「普通の生活」は、余りにも画一的に「オーバースペックかつ不適正に高い値段」であり、だから収入が低いとすごく苦労する、みじめな感じを味あわされる。

だけど、そんな“オーバースペックでそのため割高な基礎生活費”は、実は普通の所得のある人だって別に望ましい状態と思ってるわけではないんじゃないかと。そんなの望ましいと思ってる人は、むしろ少数派なんじゃないかと。




で、そうなると本当に切り込まなくてはならない問題は、
そもそもなんで日本はこんなに“オーバースペック”なのか
っていう点なんです。

で、そのことについていろいろ話が(妄想が?)頭の中に拡がっているのですが、ちと忙しいのでまた明日。(か、そのまた明日)


ではでは



*1:例としては他に、刑務所、精神系の病院、原子力発電所なども同様で、“存在すべきだが、私の周りにはやめて!”という扱いを受けるものは社会的な存在意義が必須や重要なものでも、たくさんあります。