今を守ることの愚

今回の政権交代に伴い、またもや郵政の再国有化法案が政局絡みで注目されました。記憶にも新しいように、郵政の民営化はほとんどそれだけを問うた選挙において、圧倒的な国民の支持を得て決まったことです。それらの国民の声をバックにした類い希なるリーダーが、強大な抵抗勢力を押さえて実現しようとしました。

にも関わらず、政権が交代するやいなや郵政は再度、国有化されようとしています。なんという巨大で強力な抵抗勢力なのか。驚嘆するばかりです。

そこまでして郵政民営化に反対する人(=郵政関係者)の、抵抗理由はなにかといえば、自分達の雇用が不安だということです。日本全国津々浦々にある郵便局、特に特定郵便局といわれる個人経営みたいな郵便局の多くは、日本郵政が民間企業として効率的な経営を始めれば閉鎖の危機に晒されます。そうなれば自分達は失業するので、彼等はなんとかして日本全国の郵便局という物理的な拠点を維持したいと考えています。自分達の仕事がかかっているのだから真剣になるのも当然かもしれません。

彼らの雇用を守ってくれる「郵便局という物理的な拠点」を維持するには、郵政が行う事業のうち、どれでもいいというわけではありません。郵政は金融(郵便貯金)、保険(簡保)、郵便事業の3つを行っていますが、このうち、金融と保険では「日本全国津々浦々の拠点」は必ずしも必要ありません。金融なんてネットバンクが可能だし、保険だってそのうちネットで買うのが当然になります。金融と保険業にはあんな多くの拠点はいらないのです。

一方、郵便事業を維持するという話になればどうしても全国の拠点が必要になります。年賀状や紙の手紙、小包を全国に配送するには、地方も含め郵便局という拠点が不可欠です。

だから、「雇用を守りたい→そのためには拠点を守る必要がある→そのためには郵便事業を決して潰してはいけない」、という理屈になるのです。


ところがこの「郵便事業」に未来がないことはあまりに明らかです。いまや手紙を書くのは高齢者だけだし、ビジネス小包の多くが民間の宅配便で配られます。年賀状だって毎年大幅な減少傾向です。雇用維持のためには郵便事業を存続させねばならないのに、その郵便事業の行き先は風前の灯です。

そこで亀井さんらが(かしこい官僚と共に)郵便事業を助けるために考えたのが、
Step 1) 金融・保険を郵便事業と再合体し、郵便事業の赤字を埋めやすいようにする
Step 2) 金融事業と保険事業が、今より大きく儲かるようにし、その余剰利益で郵便事業を助けられるようにする。

という方法であり、Step2が郵便貯金や簡保の預け入れ(購入)上限を引き上げる、という話です。


まとめれば、「自分達の雇用を守るために必要な郵便事業がこのままではもたない。だから未来永劫、金融や保険業に助けてもらえるよう、郵政三事業を再統合し、かつ、郵政の金融や保険が民間企業より有利になる仕組みを作っておこう」という思考の流れになっています。


この思考の問題はなんでしょう?この考え方の“最も残念な点”はどこにあるでしょう?


公的部門が、民間企業を苦境に陥れてでも自分だけは助かりたいと画策するその醜さももちろん問題ではありますが、最も残念な点は、「未来のない郵便事業を存続させるには、他事業から補助金をもらうしかない」と彼らが考えた点にあります。この発想は、「自分が生きていくためには、生活保護をもらうしかない」とか「わが社が存続するには、政府から補助金をもらうしかない」という発想と同じです。


自分が今やっている事業が将来性がないと感じた時に、民間で商売をやっている人なら「何か別の事業で将来性のある事業を見つけよう」となるのが普通です。ところが彼らは、「郵便事業の将来性が暗い。オレは仕事を失うかも!」と思った時、「では、他になにかいいビジネスはないか?」ではなく「なんとか誰かに(税金で)助けてもらえないか?」と考えるのです。絵に描いたような“親方日の丸発想”です。


以前のエントリ、「ネット消費時代のインフラ:物流・決済・窓口」にも書いたように、ちきりんはこの「全国津々浦々の窓口拠点」は、ネット時代にそれなりの価値を持ちうるビジネス資産だと考えています。

今は窓口で「貯金、簡保、郵便」しか販売していませんが、民間企業の商品やサービスの販売業務を受託して何でもどんどん売ればいいのです。そして販売手数料で儲ければいい。郵便局の拠点を民間企業が利用できれば、どの企業も一切販売網を構築せずとも日本全国で商品を売ることができます。売上に応じてそれなりの手数料を払ってくれるでしょう。

家電の修理取次ぎやリサイクル品の集配、弁当の宅配、通販の返品窓口、行政サービスの取次ぎなど、様々なサービスや商品の取り次ぎ拠点としても十分に可能性があります。こんな数のネットワークを日本全国に持っている会社は他にないのです。(コンビニは地方には数も少ない上、ロードサイドが大半で自宅までの配送機能も持っていません。民間の宅配会社は配送網だけをもっていて“窓口”を持っていません。)


郵政民営化案は、郵政を、金融、保険、郵便の3事業に分割するのではなく、“窓口カンパニー”も分離独立させるという案でした。この案を作った人は“窓口カンパニー”の事業可能性に気が付いていたということなんです。“日本全国津々浦々に拠点をもつという窓口拠点事業の可能性”が理解されていたのです。

だから、自分達の雇用を維持するために拠点を維持したい、という人たちは心配せずに、「この窓口拠点機能を使ってどう儲けるか」ということを考えればよかったのです。

でも、地方の郵便局で働く人達とその支持者達には、そもそも「ネットの時代」もよくわからないし、そういう時代に自分達の窓口拠点ネットワークがどんな価値を持てるかということも想像できない。だから「もうだめだから、誰かに守ってもらおう」という発想になったわけです。


以前に「子供の将来のために、自分の子供の足を切るインドの親」という話を書きました。その話はこの件とよく似ています。今、一生、郵便事業が“養ってもらえる”体制を作ろうとしている人たちは、自分達の“頼りない子供”が実は将来、大きな可能性のあるビジネス資産をもっているのかもしれない、とは考えもしません。

既存ビジネスが衰退期に入った時に、自分達の強みは何かと考え、それを活かして新しい時代における新たな価値創造に前向きにチャレンジしていたら、コンビニや宅配会社と戦える新時代の窓口拠点ビジネスが展開できたかもしれない。でも「一生養ってもらえる仕組みを作ろうよ」という方向に走ってしまえば、そのチャンスはなくなってしまいます。

未来の大きな可能性を潰してしまうのは、いつだって“将来が現在と同じだと思っている人達”だということです。郵政事業だけではありません。「先行きが暗い。なんとかして守らねば」と思った人に、未来はありません。未来は“攻めてこそ”明るくなるのです。


そんじゃーね。