不自由な世界が自由になると混乱します。
ちきりんが知る限り最も混乱してたのは、ソビエト連邦が崩壊した時です。何の自由もなかった国が一気に自由になって、めちゃくちゃになってました。
明治維新の時も、身の周りのあらゆるコトが自由になって混乱しただろうなと思います。それまでは農民に生まれれば農民、武士に生まれれば武士だったのに、突然「好きな職業選んでOK!」とか言われても困るでしょ。「どこに住んでもいい」とか言われても、「どっ、どこに住めば??」って感じよね。
個人でも、親の家に住んでた時期はきちんとした生活だったのに、一人暮らしを始めて自由度100%になったら、突然むちゃくちゃな生活になる人も多いです。自由って怖いのよね。
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現代日本においても、平成になったあたりから人生のクリティカルポイントが自由になったため、やたらと混乱しています。昔は「誰とでも結婚する時代」だったのに、今は「好きな人と結婚する時代」になりました。圧倒的に自由になったように見えますが、結婚できない人が急増しました。
「誰とでも結婚する時代」なら、親、親戚、世話焼きの仲介人などの言うとおり、2回も会えば結婚を決めていたのに、自由な結婚市場ができてしまうと、そんなんで決断する人はいなくなってしまったからです。自由って圧倒的にめんどくさい。
就職も全く同じ。昔は「どこにでも就職する時代」だったのに、今は「入りたい会社に就職する時代」になりました。革命的に自由になったようでいて、仕事を得るために必要な費用や手間やエネルギーは何十倍にも増えました。
ちなみに昔の就職活動がどんなだったか、これ読んでみてください。ちょっと感動しますよ。→ 「時代と共に幸せに」
実際、「自由がなかった昔はいろいろ手に入っていた人が、世界が自由になったとたん何も手に入らなくなった」という妙なことになってます。これじゃあ「自由なんておかしい!昔の方がよかった!」という人がでてくるのも当然です。
もちろん一部の人は「自由になったこと」の恩恵を最大限に受けています。いわゆる“市場原理下での勝ち組”の人達です。そういう人は多くないので、嫉まれるし大きな反発を受けます。自由になると「結果平等」が崩れるので、社会は分断されるわけです。
ちなみに分断後のグループはこの3つです。
・「自由なんてクソくらえ! 不自由な世界に戻りたい。戻るべきだ!」(←規制強化派)、
・「自由はいいけど、やってけないオレ達に手厚い補償を!」(←大きな政府派。左派)
・「不自由な時代に戻るなんて時代錯誤!問題は市場で解決すべき!」(←自由主義者)
(政党もこの3つに分かれればいいのに、民主党はすべてのグループを党内に抱えているので仲間割ればかりしています。)
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さてこのように、「自由って大変」なのでありますが、個人レベルでみればそれでも大半の人が「自由になったことで引き起こされた問題は、自分達の努力や市場の工夫で解決すべき」と考えています。
たとえば、「親が写真交換して結婚」の時代が終わり、結婚相手を見つけるのが難しくなっても、「写真と釣書を見て2回会って結婚したい!」と思っている人よりは、「婚活サービス会社にお金を払って、自分も最大限努力して結婚したい!」と思っている人の方が多いでしょ。
就活がすごい大変だ大変だと言うけど、彼らだって、先生や教授が「あなたはここの会社、キミはあっちのお店で働いてね」って言ってくれたらオレは喜んで従う。だからそういう方式に戻せ!と主張してるわけじゃなく、なんとかもうちょっと合理的な自由就職の方法論があるはずだろ?それを探すべきだ!と言っているわけです。
ところが組織レベルになると、「昔に戻せ派」がやたらと増えます。彼らはすぐに「派遣制度なんて廃止しろ」とか、「貿易をやめて鎖国しろ!」などと言い出すのです。
この個人と組織の行動の差がすごく興味深くて、ずっと「なんで違うんだろ?」と考えていました。で、最近わかったのは、個人の場合は「自由がない」ことがすごくつらいのに対して、組織ってあんまりつらくないんだな、ということです。
だっていくら結婚できて就職できても、個人の場合、「2回会って結婚」とか「はい、キミはこの魚屋で働いてね」って割り当てられた仕事に就くのは、つらいでしょ?
でも組織って「決められたとおりに、何も考えずに、過去行われていた通りにやっていたら利益がでました」みたいな自由度のない状況が、全然つらくないんです。いや、むしろ心地よいのだと思います。何十年も同じことやってて、それで儲かるなら超ハッピー!なんです。ここがまさに、個人と組織の大きな違い。
じゃあなぜ個人は「自由のなさ」に耐えられないのに組織は平気なのかというと、「自由度がないことのつらさ」は精神的なものだからです。だから個人としての“人間”はそれを感じるけれど、組織はそれをつらいと感じません。
「決められた仕事を決められた方法でやれ」としか言わない組織において、そこで働いてる個人は(たとえ給与がちゃんと支払われていても)「耐えられない!」と思うけど、組織の方は利益さえでてればいいんです。むしろ「儲け続けられるビジネスモデルがあって安泰。よかった!」と考えます。これは組織として当然です。
一言でいえば、「自由のありがたさというのは精神が感じるモノ」なので、個人はソレを感じるけど、組織はそのありがたみを感じない。だから組織は平気で「不自由な時代に戻りたい。規制強化しろ」みたいなことを言い出す、ってことです。
この点、一度自由を知ってしまうと、それが少々大変でも、自由のなかった時代に戻りたいとは思わない個人とは全く違います。
ここんとこの日本を見ていると、ちきりんはこの差をあちこちで痛感します。個人はみんなスゴク積極的に自由を求め始めているし、実際にどんどん自由になりつつある。
でも組織は本当に保守的。一歩たりとも前に進みたくないという姿勢が露わなところさえある。これじゃあ「組織を離れて自由に生きていきたい」と思う人が増えるのもあたりまえ。
これから日本でも個人はどんどん自由になると思う。それはホントにすばらしいこと。だけど企業であったり国であったり官僚機構であったりという「組織が変われるか?」というのは、相当強力な個人(独裁的に力業で組織をねじ伏せる個人)が現れない限り無理でしょう。
というか上に書いたように、自然な流れとして組織は必ず保守に向かう。保守的にならない組織というのは、組織の力を越えた個人がいる場合だけだと思ったほうがいい。そしてそれは多くの場合、カリスマでありオーナー創業者であり、さらには独裁者と呼ばれていたりするわけです。
何が言いたいかって?
27日めっちゃ楽しみ!ってこと。
そんじゃーね。