Twitterについて、理解しておくべきこと

“顧客への感謝の気持ちを忘れたネット通販企業の経営者”が、“配送会社への感謝を忘れた顧客(しかも女子高生)”を、ツイッター上でいきなり罵倒した事件が話題になってます。

ちきりんもTwitterはすばらしいネットサービスだと思うのだけど、「怖いよね」と思うこともたびたびあります。今日は自戒も兼ねて、「これは忘れないようにしときたい」と思うことをまとめておきます。



1.すべてのツイートは、誰に読まれても不思議ではありません

下記のように思っていたら、それは間違いです。
・@を付けていない。メンションを飛ばしていないので、本人には読まれないだろう
・日本語で書いているので、外人は読まないだろう
・自分のフォロアーは20人しかいないので、たくさんの人に読まれることはないだろう
・DMや鍵付きでのツイートが、意図しない人に読まれることは決してありえない


企業(の関係者)が、自社名、自社サービス名&商品名で検索を掛けるのは当然だし、クリエーターや著者が、自分の作品名や芸名、ペンネームで検索を掛けるのもごく普通のことです。

テレビの前で有名人についてブツブツつぶやくのと、ツイッターで有名人についてブツブツつぶやくのは、同じように見えて、全く異なる行為なのだと覚えておきましょう。


さらに、本人が検索していなくても、おせっかいな第三者が「あなたに関する、こんなツイートがありましたよ!」と嬉しそうに本人に報告する場合もあります。あなたが中国やアメリカに関するツイートをした場合、その発言を中国語や英語に訳して、それらの国の人に回す人が現われる可能性さえあります。

フォロアー数が少ないなんて、なんの意味もありません。検索はキーワードで行われ、その検索をかけた人のフォロアー数が多ければ、あなたのツイートは一気に拡散されます。

言葉であれ画像であれ、パスワードさえ掛けない状態でネット上に何かを残せば、世界中の人がそれを見る可能性があるのだという、当たり前のことを忘れないようにしましょう。


DMや鍵付きのツイートが、絶対に安全だと思っているのも、たいがいオメデタイです。

フェースブックの創業者、ザッカーバーグ氏が「非公開」に登録していたプライベート写真が、プログラムのバグにより流出した事件からもわかるように、いつどんな(爆弾のような)バグやウイルスが出現するか、誰にもわかりません。

どんなバグがあっても、無料でサービスを使っているユーザーが保障を受けられる可能性は極めて低いでしょう。もちろんそんなことが頻発するとは思いません。でも「絶対ありえない」ではないのです。



2.「言われたこと」より、「言ったこと」の方が、圧倒的に重要だと理解すること

誰かが「ちきりんはアホだ」とつぶやいても、そのつぶやきで、私のことをアホだと思う人は多くありません。

しかし、ちきりんが誰かに「お前はアホか?」とつぶやけば、私のことをアホだと思う人は相当数に上ります。


前にも書きましたが、「何を言われたか」より、「何を言ったか」の方が、圧倒的に重要です。

この点で、まず(&なにより)気をつけるべきは、言葉遣いです。内容が正しかろうと、怒って当然という場合であろうと、汚い言葉遣いをした段階で、あなたの人格はその言葉遣いと同じレベルだと判定されてしまいます。


冒頭で書いた事件に関して、「それにしてもこの汚い罵り言葉、何とかならないの?」と書かれているブログを見ましたが、ほんとそのとおりだと思います。 

これでは株価を回復させるのは至難の業でしょう。「伸び盛りのベンチャー企業の命運は、経営者の資質にかかっている」と、多くの投資家が考えています。

一度こんな言葉遣いをしてしまうと、「この経営者は爆弾を抱えてる・・・」と投資家は判断します。たったひとつのツイートで、失ったモノ(信用)の大きさは測りしれません。

同じ意味で、ビジネスをしている人が政治的なツイートをするのもリスクが大きいです。なんの気なしに日中問題について発言していたら、将来「自社サービスを中国でも展開しよう!」と考えた時に、なぜかその発言が再度(しかも中国語で!)リツイートされ始めて・・・みたいなことも起こりえます。

「自分が何を言われているか」なんて、たいして気にする必要はありません。そうではなく、「自分は何を言っているか」について、その何倍も気にするべきなのです。


また、ツイッターでなにか複雑な問題について議論をする場合、一連のツイートの中のひとつだけが切り取られて「何を言ったか」が取りざたされることも覚えておきましょう。

ツイッターは、「全員が前後の発言を全部読む」ことを前提としていません。ひとつの独立したツイートだけを読んだ人が、自分の発言をどう理解するだろう?という視点をもつことも必要です。

このこともあり、ちきりんはネット上では議論しません。こちらに書いたように、あまりに非生産的で、無意味だからです。



3.ツイッターは極めて市場的だと理解すること

「市場的」というのは、ルールが少なくて自由度が高い反面、参加者のシンプルな気持ちがそのまま反映される場所であり、弱肉強食とも言えるし、初心者だという言い訳が通用しない場所である、とも言えます。

ツイッターではフォロアー数がひとつの指標となっていますが、その数は、その人の発言の質と量に応じて日々変動します。ちきりんはこれを見る度に、「株価のようだ」と思います。フェースブックの友達数は、こんなふうには変動しません。市場的である、というのは、ツイッターの大きな特徴です。

なお、使用者数の合計が日々増えている(のだと思う)ので、基本的にはフォロアー数は誰でも右肩あがりです。経済成長期の株価を見ているような気分ですね。


他にも、140字という制限の中で、「論理立てて人を説得する能力」や「アハハ、クスリと笑わせる能力」など、言葉の力を使ってどれほど効果的に他者に影響を与えられるか、という競争が行われている、という意味でも、市場っぽいなと思います。

今話題の橋下大阪市長がツイッターを始めた時、多くの“ツイッターの先輩”が、「橋下さんのツイートは長すぎる。固すぎる。もっと気楽につぶやいたほうがよい」とアドバイスをしていました。

しかし今やあのツイートスタイルは、彼の主張を市場に伝えるためのベストなスタイルにさえ見えています。自分の伝えたいことを、効果的に、パワフルに、直接的に、伝える技術をもつ人にとって、ツイッターは極めて有効なツールとなりつつあるのです。


さらに、ブロックやミュートが簡単にできることも、ツイッターが“市場的”である部分です。

嫌な人、キライな人はいつでもブロックでき、コミュニケーションを断つことができます。ソフトによっては、相手に気づかれないように不可視化(ミュート)することもできまます。この“自由さ”も、気に入らない株はいつでも売ってしまえる流動性の高い市場を思わせます。


市場である限り、参加したらいきなりその洗礼を受けることもありえます。最初のツイートで、いきなりお目当ての人にブロックされてしまうこともあるでしょう。「ええっ!」っと思っても後の祭りです。

始めたばかりの頃に何気なくしたツイートで炎上し、見知らぬ人からボコボコにされたりしたら、「もう一生、ツイッターなんてやりたくないっ!」と思うかもしれません。

初心者だろうと無名だろうと小学生だろうと、参加したら誰でもイチプレーヤーとしてボコボコにされうるのがツイッターです。

そこで残っていくのは、「フォローされたらフォローを返すべき」とか、「自分に直接メンションを送っていない人に反応するのはマナー違反」などというお行儀の良い“お約束”ではなく、単純に「おもしろければフォローする」、「嫌いな奴はブロックする」という市場的なメカニズムのみです。



そんじゃーね。