持たざる者の強み

“持てる者と持たざる者”とは貧富の差を現す古典的な言い回しですが、ビジネスの世界では“持たざる者の強み”もよく言われます。

たとえば組立て系製造業には、世界各地に立派な工場を保有するメーカーと、自社工場をもたない企業が併存します。しかし、工場をもつ企業が有利かといえば、そうとも限りません。

後者の企業は自社工場がないからこそ、作る商品にあわせ、「この商品を最も高い品質で、最も安く作ってくれる工場はどこか?」という視点で、製造委託先を世界中の工場から選べるからです。

自社工場を持っていると、たとえコストや生産性が少々劣っていても、その設備を遊ばせておいて海外の他工場に仕事を委託するのはとても難しい判断となります。


人材についても同じです。余剰なほどの解雇できない正社員を抱えていれば、新規事業や海外事業にのり出す時にも、自然と社内から責任者を選ぼうとしますよね。

一方、抱えている人材が少なければ、新規事業にあたってその分野で指揮を執るにふさわしい人を世界中から募集することが可能になります。こういった差は時に事業の明暗を分けかねません。


かって“ナショナルのお店”を全国津々浦々に「持ってしまっていた」松下電気産業も、家電量販店や大手小売りチェーンとの良好な関係を築くのに他のメーカーより苦労しました。

大量販売と引き替えに要求される大幅な仕入れ値のディスカウント要求をのめば、系列販売店を潰してしまうことは目に見えていたからです。

過去においては、大躍進の原動力のひとつであった大規模な販売店網という“超優良な資産”が、時代が変われば成長の障害になるという、なんとも皮肉な話です。


そして、持たざる者の強みを活かすために、企業は「わざわざ持っているものを捨てる」という選択をすることもあります。

たとえば工場を分社化すれば、開発部門から見て自社工場は「他の会社」となります。その上で「この商品をどこの工場で製造するかは、技術力や価格などの条件で決めますよ」と、自社工場と他社工場を比較検討するわけです。

結果的に自社工場で作ることになるとしても、自社工場も世界の他の工場との競争を余儀なくされます。もともとは一流企業の工場なのに“世界との競争”にさらされることになるのです。


このようにビジネスの世界では、「持ってしまうリスク」はあらゆる分野において認識されており、今やバランスシートを大きくしたいと考えている企業は少数派となりつつあります。

もちろん多くの企業は「終身雇用を約束させられてしまう正社員を持ってしまうことのリスク」も十分に理解しているからこそ、新卒採用の拡大に慎重なのだともいえるでしょう。

★★★

個人でも家(不動産)を買えば、他の場所に住みたいと思ってもなかなか転居できなくなります。

また、代々続く名家に生まれたり、親が伝統文化の職人であったり、手広く事業をしているような場合も、子供は将来の選択肢について一定の縛りを感じるでしょう。さらに、親が病院を開業した医者だとなれば、その子供には18歳の受験時から相当強いプレッシャーがかかっているはずです。

一方「持たざる家」に生まれれば自由に職業を選べます。大学を出るまで将来進む道など決めないままにすることも可能でしょう。「持たざる者」とは、「縛りのない者」「自由なるもの」と言い換えることもできるのです。

もちろん、家族や家庭のように「持つこと」により責任が生じ、「縛られることによって生きる意義を感じさせてくれる効用」のあるものも存在します。

しかし少なくともビジネスやキャリア上の判断においては、「持ってしまったもの」に縛られると、自由度を確保している人との戦いはとても厳しくなります。

「持たない者の強み」を意識的に活用し、たとえそれが過去の自分や自社を支えてきた資産であったとしても、未来に向けて決断をする際には、過去の資産に縛られないよう気をつける必要があるのです。