死刑〜議論の方法論〜

「死刑制度の存廃」については、世界的に大きな議論があります。

世界の死刑制度の状況 wikipedia」を見ると、

ヨーロッパの大半や、カナダ、オーストラリア、ロシアなどは死刑を廃止。

先進国で死刑を残してるのはアメリカと日本だけと言われてますが、アメリカは州により状況が異なり、最近は廃止する州も多い。

一方、日本についてはコンスタントに死刑宣告がでてるし、執行も行われてます。

また、先進国以外では中国や北朝鮮などで随時、死刑は実施されており、「死刑を残しているなんて、なんて野蛮な国なんだ!」的な国際世論もあります。


日本の特徴としては死刑が残っていること以上に、国民の大半が死刑制度を支持しているという点にあります。

なぜ日本は他の先進国と世論が違うのか、そのあたりを探るためにも今日は死刑存廃議論の論点をまとめておきましょう。


この議論の論点としては、

(1) 刑罰としての犯罪抑止力

(2) 冤罪問題

(3) 被害者と加害者の命

(4) 宗教観

(5) 命を奪う権利

(6)「終身刑」導入

などがあります。


★★★


(1) 死刑に犯罪の抑止力があるか否かというのは、最もポピュラーな論点です。

抑止力とは、「ああいうことすると死刑になるんだな」と思わせることによって、犯罪を思いとどまらせる効果のことです。

これ、実際には検証できないため、常に水掛け論です。

また、そもそも人を殺す時に冷静で論理的な判断をする人なんていないとも言われます。

死刑になるなら殺人をやめとこう、20年で出てこれるなら殺してしまえ、などと考える人がいるでしょうか??

なかには「無差別に人を殺せば死刑になれると思った」みたいなことを(本気かどうかしりませんが)犯罪を起こした動機として述べる人もいるので、抑止力どころか誘因になっているという人もいます。

加えて先日の大阪の殺人事件では、犯人は未成年時にも殺人を犯し捕まっていました。でも未成年ということで死刑にならず、社会復帰。そして、出所後にまた殺人事件を起こしたのです。

こういうケースにおいて「最初の殺人の時にこの人が死刑になっていれば、 2番目の殺人は起こらなかった」とし、それを「抑止力」と呼ぶ人もいて、なかなかに複雑です。


(2) 冤罪問題

冤罪の場合、死刑にしてしまうと取り返しがつきません。

日本でも戦後のどさくさ時代や、部落差別が絡んだ犯罪で、「死刑判決だったけど、実は冤罪でしょ?」という事件は、これまでも複数、存在します。

冤罪の可能性のある死刑囚は再審請求をしていることも多く、死刑を執行しないまま何十年も死刑囚として拘束され続けており、それ自体も大きな人権問題です。

ただ、「冤罪だった場合に、とりかえしのつかない死刑は絶対にダメ」なら、同じ理由で「冤罪で無期懲役や終身刑なんてとんでもない人権侵害だ。だからそんな長い刑罰はダメ」という話になったりしないんでしょうかね。

命を奪う行為と一生涯の自由を奪う行為が質的に違うのか、という議論は後述する宗教観ともつながっている気がします。

あと、今でも「白人警官による黒人被告への過剰暴行」がたびたび問題となるアメリカでは、死刑を宣告された黒人の多くが(もしくは、その支持者や家族の多くが)、もし自分が(被告が)白人であったら、死刑にはならなかったと考えています。

冤罪ではないにしろ、差別により死刑にされてしまう可能性が高いと考え、死刑制度に反対する人もいるってことです。


(3) 被害者と加害者の命

「誰かの命を奪った奴の命を保護する必要はない」という考えがあります。報復論的な考え方でしょうか。

特に被害者の家族にしてみれば、「なんで被害者の命や人権より、犯人の命や人権の方が重いのか?」と考えるのは自然なことかも。

身内を殺された家族が犯人に極刑を望むのは、これまでにも度々見られた光景です。


(4) 宗教観

ヨーロッパの死刑絶対ダメ思想の根底には、人権教育とともにキリスト教の思想がありそうです。

特にカソリックでは、死刑どころか中絶もダメで、もちろん自殺もダメ。つまるところ命に関することは神の判断領域であり、人間が左右してはならないという考えがあるんです。

一方の日本は中絶に関してもかなりおおらかで、若い母親が育児放棄をした場合などに、「自分で責任もって育てられないなら中絶すべきだった」みたいに言う人もいます。

また、昔から「死んでお詫びする」とか「切腹して責任をとる」みたいな慣習があり、「命をもって償う」という概念が比較的、受け入れられてる社会です。

このあたりの考え方はかなり違いますよね。


(5) 命を奪う権利について

国家が個人の命を奪うことは「いかなる理由があっても正当化できない」と考える人もいます。

この考えに基づけば、死刑も犯罪ですが、戦争も犯罪です。

「刑法や刑事訴訟法に則れば、人を殺してもいい」とか「戦争法を守っていれば、人を殺してもいい」というのは、「法律に則った、合法的な殺人がありえる」という意見ですが、

「法律に則った殺人=合法的な殺人」なんて概念自体、成立しないという意見もあるってことです。

それこそ「命を奪っても良いという法律は憲法違反!」ということでしょう。

ヨーロッパの人権派で、死刑に絶対反対の人達が戦争も犯罪だと考えているのか、そのあたり、興味深い論点です。


ちなみに、まだ逮捕できていない犯人が武器をもって暴れている場合、日本では「できるかぎり生け捕り」ですが、欧米では問答無用で射殺されます。

射殺してから「未成年だった」とか「責任能力のない精神状態の人だった」とわかっても、問題にはなりません。

射殺してしまうと、犯罪の動機や共犯者がいたかなども明らかにされなくなりますが、それも「仕方ない」と考えられています。

これは、射殺しないと他にも犠牲者がでかねないので緊急避難的に、というコトで、そういう状況では「殺人も合法」と考えられているようです。

日本の場合は、(警官が命をかけてでも)できる限り生け捕りにし、裁判を経て死刑を宣告します。

それが人権問題だからダメと言われるなら、日本でも最初から(生け捕りなんてせず)射殺という形に変わっていくかもしれません。


(6) 死刑にしないと(他の罰では)軽すぎる、という話

刑罰の「間隔」が大きすぎるという話。日本の場合、死刑の次に重いのは無期懲役だけど、実際には“無期”ではないこともあります。

「無期」ってのは「死ぬまでずっと」でもないし、有期刑(たとえば懲役 20年)の場合、裁判が 10年続くと、懲役は残り 10年くらいになったりするし。

「何人もの人を無差別に殺した犯人への最高刑が、そんな罰でいいのか?」という話になると、今は死刑しか選択肢がありません。

だから今のままなら死刑は必要だが、もし「終身刑」や、アメリカみたいに「懲役 230年」といった刑罰が導入されるなら、死刑廃止に賛成という人もいます。


★★★


以上、いろんな論点があるので、それぞれの人が考えたり、周りの人と議論してみるのもいいんじゃないかと思います。

私の場合、(いつもながら)超「実務的に」考えるので、

・冤罪は必ずあり、ゼロにはできない。
・冤罪で死刑にしちゃうなんてありえない。あってはならない。
・だとすれば、街中で暴れて多数の人を殺した、みたいに、相当数の人が目撃していた事件など、「犯人であることが疑いない場合」以外は死刑にはしない、ってあたりから始めるべきかなとは思います。


あと、死刑をどうするか決める前に、終身刑などを作るのもありかも? で、事実上、そっちにシフトさせてしまい、死刑はモラトリアム(停止)してしまうと。


「死刑に抑止力がある!」「ない!」とか言いあってても、結論はでません。誰にも検証できないからね。

でも、「死刑を宣告されたけど冤罪だった」って人は実際にいるわけで、最低でもここは直してくべきじゃないかな。

みなさんの意見はいかがでしょうか?



それではね。


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