負けるが勝ち

さっきテレビみてたら、プロフェッショナルの流儀とかいう番組で、建築家の熊さん、イヤ違った、隅さん・・・ん〜、隈さんかもしれない、の特集やってました。(とりあえず、ここではクマさんと呼びます。)

ぼんやり見てたのだけど、キャッチに共感したのでご紹介。



「プロフェッショナルとはなんですか?」という問いが、毎回出演者に問われる。クマさんの回答は「同じコトを二回しない人」。

うん、これ共感できます。プロとはなにか?って、最近よく見るんです。書籍や雑誌で特集されることも多い。「これができなければプロではない」とか、「プロってのはこういうモンだ」とか。

でも、今日のクマさんのが一番ちきりん的にはぴったりする。


同じコトを二回しないというのは、いろんなことを意味する。

まずは「マニュアルが書けない仕事」ってことです。だって同じコトを2回はしないんだから「方法論」は一般化できないでしょ。する意味もないし。

それから「人によって答えが違う」ということでもある。Aさんがやっても、ちきりんがやっても同じ答えになるなら、意図しなくても同じコトが二回起こってしまうからね。

つまり「正解がない仕事」ということだと思う。6÷2は誰がやっても3だから“3が正解”として認識される。何度やっても同じ。だけど、やる人により、もしくは、やるたびに答えが異なれば、それは「正しい答え」ではない。「正しい答え」ではなく、「オレが選んだ答え」が大事なのがプロってことでしょう。


「効率を追わない」ということでもあるだろう。同じコトを何回も繰り返せば、「うまくできるようになる。」よね。てか、世の中の大半のことは「反復練習」なのよね。小学校の九九から始まって仕事も大半は「反復練習」です。

あなたが他の人よりその仕事をうまくできる理由は、「毎日やってるから」「何年もやってきたから」です。大半の場合ね。

なんだけど、「同じコトは一回だけ」なら、「反復してるからオレはお前より良い物ができる」ということにはならない。“それ以外の理由において”“オレの価値”を出す必要がある。


矜持も感じるよね。同じコトを二回しないという矜持。

だいたい「価値あるものには再現性がない」と思う。子育てとか結婚とか、「誰かと同じ」とか「本に書いてあるお手本通りに実行」とかないでしょ。「前と同じやり方」とか「誰かがやったやり方」でできるようなコトには、結局たいした価値がないんじゃないか、という気がする。

★★★

もうひとつ、なるほど、って感じだったのが、「負ける設計」という言葉。説明は省略しますが、これは、この人の独自のキャッチというより、ほぼすべての原則だとちきりんは思う。

「負けるが勝ち」なんです。「負けた方が絶対いい」と言ってもよいくらいだ。

「とにかく負けろ」って感じでさえある。


だいたいね、勝っていいことなんてないですよ。リアルな社会においては。


なぜなら、私が勝つということは、「私に負けて悔しいとか悲しい」人が存在しちゃうってことですからね。その人は私のことが嫌いになるし、頭に来るし、協力したくないでしょう。反対に私が負ければ「私に勝って嬉しい!」人が周囲に生まれる。「ちきりんに悪いな」って思うかもしれないし。


だいたい何で昔は負けるのがヤだったのか。子供の頃に負けるのがヤなのは、悔しいから、とか悲しいからヤなだけだったと思う。今は、そんなんどーでもいいじゃん、と思える。自分の気持ちだけの問題ってことだもの。

負けて、何かすごく実害があるとか、そういうことってほとんどないよね。寧ろ「勝ったことの実害」が大きい。



ちきりんが強く後悔しているのは、それに気が付くのが遅すぎたということだ。まあ死ぬ前に気が付いただけでも良しとしよう。


んじゃね。