右翼の国だったんだな

下山事件については今までも松本清張氏の本などいくつか読んでいましたが、今回の柴田さんの本が一番ストーリーとして楽しく、一気に読んでしまいました。

下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)

下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)


非常にすばらしい本であるにもかかわらず、読んでいて悔しいのは、この時代の“空気”を理解することが難しいこと。

実際、ちきりんが当時生きていたとしても、GHQだのCIAだの政治の黒幕だのわかるわけもないのだが、それでも日々新聞を見ているだけで感じられることもあるはず。平成の今、戦後すぐの当時の空気を実感するのはとても苦労のいることです。

が、頑張ってみた。

今のところ、ちきりんの“当時の状況”の理解はこんな感じ。なお、当時とは、昭和24年、1949年です。終戦から4年後の夏。

★★★

(1)世界情勢・・・10月には中国人民共和国が建国されてます。つまり“中国が共産主義になった年”です。第二次世界大戦が終わって、“冷戦構造”が確定してしまった年とも言えます。

(2)日本の状況・・・まだ占領下ですね。サンフランシスコ条約が1951年、占領終結はその翌年なんで、49年はまだ占領真っ最中。
ただし、ゼネストの中止が47年ですから、上記の(1)とあわせ“反共”の方針はすでに明確だったと思う。というわけで、岸信介はじめ右翼系の人たちが表舞台にどんどん復帰し始めた時期です。

(3)日本の経済状況・・・これが一番わかんない。1945年の終戦の後はモノがないわけで、いわゆるインフレがひどかった。1948年末まではいわゆる超インフレ状態。ただし南米とかの“年何千%のインフレ”ではなかった。せいぜい70%程度。

で、1949年のはじめからはデフレになっていた様子。ただいずれにせよ不安定な状態。で、ドッジプランが発表される。アメリカは“反共の砦”の日本の経済を“安定化”させたいという意図があった。

このドッジプランって結局なんだったのさ?ってのが実体的によくわかんない。感覚的に理解できない。9原則とか施策を読んでも、「うーん、つまり何さ?」って感じ。難しい。

まあ、ゆっくり勉強しましょう。


(4)アメリカの占領政策・・・これもよくわからない。内部対立があったことは間違いないみたい。GSとG2とか、GHQとCIAとか。ひとつは“左”と“右”の対立でしょう。でも、それ以外の対立軸がなんだったのか、よくわかんない。


(5)日本側のリーダー・・・これが、今回少し理解が進んだ点なのだが、いわゆる55年体制。これは“保守合同=自民党”と“社会党=革新側”という対立であったとすると、もっとシンプルに言えば“右”と“左”の対立であったわけです。

つまりさ“右翼”と“左翼”の対立であったと。ええっと、つまりね、当時の自民党内閣が“右翼”であった、ということを明確に理解した方がいいんだな、と、初めてわかった。“だから”「戦後レジームからの脱却」なのね。ふむ。

それと、左翼に関してはその蛮行はかなり「拡大宣伝」される傾向にある。たとえば本当は火焔瓶を投げて逃げ帰っただけなのに「交番を襲撃した」とか言うわけ。左翼ってのは「腰抜けなわりに強がる」傾向にある。

んだけど、右翼ってその蛮行を「縮小隠匿」する傾向にあるよね、と気がついた。おおっぴらに街宣するけど、殺人とかに関しては言いふらさない。(つーか、こっちの方が当然だ。左翼はなんで“言いたがり”なんだ??)

んでね、ということは、私は「右翼がやってきたことを過小評価している可能性があるなあ」と思った。今回の下山事件の本を読んでね。


それと、日本で“右翼”が“左翼”を押さえて実権を握った裏には、当然、アメリカでも“右翼”が“左翼”を押さえて実権を握ったという背景がある。

つまり背景として2段階になっていた。まずはソビエトとアメリカのどちらが主導権を握るか、という意味ではソビエト=左、アメリカ=右。で、右が勝ちました、と。で、アメリカの中にも左一派と右一派があって、そこでも右が勝ちました、と。



なるほど。
私は“右翼の国”で育ってきたんだな。だから“美しい国”なんだな。

ふううううむ。


思考中。


そんじゃーね!