自分に絶望→他人に期待

年をとると、多くの人が“教育”について語り始める。意見を言うだけでなく、“将来は教育に携わりたい”と言う人も激増する。


なんでか?


理由は簡単。人間は自分の可能性に限界を感じると、他人の可能性に賭けたいと思うようになる。だから教育を語り始めるのだ。

というわけで、意識的に、教育について語りたくないな〜と思ってきた。だってヤじゃん。わかっていることとはいえ、「あたしにはもー可能性ないんで、可能性のある若い人の育て方について、いっちょ意見を・・・」ってのはさ。

なんだけど、今日、自分の通った小学校と中学校が統合して「小中一貫校になる」っていうプランを聞いたので、ほほう、ということで、ちょっとだけ書いてみることにします。はい。

★★★

ちきりん、これは“いい案じゃん!”と思ってる。都会は知りませんが、すくなくともちきりんの育ったこの街くらいの規模なら、これはいい案だ、と思う。


理由1)小学校と中学校が一貫校になると、最初の受験が高校受験になる。中学受験(小学校の5年生から塾通い)が避けられるのは望ましいと思う、ってこと。

なぜだか世の中には“中高一貫校”が多い。これなんで??大学受験が一番の“山場”だから、それにむけて6年準備しよう、ということか?3年だと準備期間として短いからってことかなあ。

よくわからんが、とにかくこの“中学と高校をくっつける”という方式が一般的になったために、“受験は小学校高学年で”という形になってしまった。これって10才とかから受験準備に入るってことです。

まあ、それがいいという人もいるのかもしれんが、これって、ちょい厳しくないですか?娘、息子が9才の時から「お受験させるか否か」を親は考える必要がでてくる。まだまだ子供の性格とか能力とか嗜好とか見極められないだろ、そんな時期に、って思う。

高校受験ってのは、少なくとも思春期の洗礼を受けた後なんだよね。親だけでなく本人も「どうしたいか」についてある程度明確な意思や意見を持てる。受験はその後でいーんじゃないか?と思うですよ。

★★★

理由2)3年で学校に区切りをすることはデメリットが大きい。短すぎて一貫性のある教育を定着させられない。

これは現在の中高一貫校を見るとよくわかる。明らかに3年の中学と3年の違う高校、という場合よりも、6年の方が一貫した思想を定着させることが可能になっているように思える。

3年って短すぎるわけでしょ。先生が生徒のことを理解したあたりで卒業になっちゃう。子供同士もそう。

なので、6,3,3をバラバラにしておくのは、最後の二つが短すぎるよね、ということ。今の6,3,3の最初の3は6にくっつけて9にしようよ、と。なお、後のほうの3は、ちきりんは大学の一般課程とくっつけるのが自然だと思ってる。

まあとにかく、最低でも4年、できれば5年くらいは同じ組織単位で、同じ思想の元で教育された方がいいかなと思います。はい。

★★★

理由3)一番不安定な時期に学校を切らない方がいい。

一番不安定なのがいつか?ってのは難しいところだが、ちきりんが思うのは、第一次性徴の頃だと思う。今だと12〜13才くらいでしょ。この時期は一番、大人や社会との関わりが難しそうに思える。だから、そこで学校を切るのはリスク高いように思う。

小学校まで普通だったのに中学校から不良系になっちゃうとかさ。そういうの最初の学校が9年だったら、もう少し巧く乗り切れる気がします。一番不安定な時期に「信頼できる先生」と別れなくても済むし、先生側も生徒のことが在る程度理解できているからね。

中学から新しい先生に会うと、“大人と大人”としての反発が生まれるのだよね。でも6才から自分のこと知ってる先生は、何歳になっても“見あげる人”じゃん。関係性が違うと思うのだすが。甘いかな。

★★★

というわけで、ちきりん的には、

(1)基礎教育=9年(小学校+中学校)
(2)高等一般教育=5年(高校+大学の一般教育課程)
(3)専門教育=4年(大学の専門課程と修士大学院)
(4)研究者コース=現在の博士課程


というようにしてはどーかと思います。

★★★

試験も変えればいいと思う。

高等一般教育の“卒業試験”をきちんとやる。基本的な科目を全部合格しないと卒業資格を与えない。ただしこれは、“必要な知識をちゃんと習得しました”という「習熟度テスト」だから、絶対基準。つまり、全員合格もありだし、全員不合格もあり。それに、一年で全科目合格である必要もない。レベル(AとかBとか)はつけてもいいけどね。

で、専門教育の入学テストは、その専門教育の勉学に必要な能力だけをチェックすればいいと思う。つまりこっちは現在の“学力テスト”ではなく、“適性検査”にすべきだと思う。

少子化で人数は少なくなるのだから、専門教育に必要な適性は、作文、面接、ディスカッションなど、ペーパーテスト以外の多少手間がかかるかもしれない方法論も駆使してきちんと調べるべきだ。

一方で教育機関側は、その専門分野の習得のために、どのような適性が必要かということを丁寧に説明、開示すべきだ。

★★★

また、現在のいわゆる各種専門学校ってやつも、もっと“大学”との格差をなくすべきでは?

これだけニートとかが問題になってんのに、大学と専門学校で税金投入量に大きな格差をつける意味は見あたらない。

それと、早めに位置付けた方がいいかも。高校って進学率がめっちゃ高いのに、全国で全部同じコト教えてるから無理が出る、と思う。*1高校の年齢(18才)からは、専門教育コースを分けちゃえばいいと思うけどね。例えばこんな(↓)感じ。


(1)基礎教育=9年(小学校+中学校)
(2a)一般教養教育=5年(高校+大学の一般教育課程)or
(2b)専門教養教育=5年(同上。技術系、ライフサイエンス系、ビジネス系、芸術系等々のコース別)

(3)専門教育=4年(大学の専門課程と修士大学院)
(4)研究者コース=現在の博士課程


(3)への進学率は現在の修士進学率くらいを想定。(3)からは自費で通う(就職後払いの奨学金制度ができるようインセンティブつける)ことも想定。

ええい、いいたいこと全部言えば、
(3)の適性検査には、かならずTOEIC800を義務付ける。(時代を考えれば、英語でコミニケーションできないのに専門教育なんて無理。)
(3)の4年間のうち、1年は必ず在学校以外での教育を義務付ける。
(3)の4年間のうち、最初の一年は全員、親元を離れて暮らさせる(寮でもアパートでもいいけど)。

とか、どーかね。

つまり、(3)に進む人は、国際的にリーダーとして、その専門分野を率いることができる、そーしたい人のためのコースであり、当然、大人として自立してます、ってことを前提としたコースだと位置づけるってことです。

★★★

まあそんな感じ。なんか話がでかくなったが・・

自分の通った小学校の名前がなくなる(もしかすると中学校も名前が変わる)のは、ちょっと寂しい気もするけど、まあ、少子化だししゃーないよね。

反対に、こういう案を聞くと“少子化もいいじゃん”と思う。今までより、より丁寧にひとりひとりを育てられるはずだもの。教育くらいはいい環境を与えてあげたいよね、次の世代に。


そんじゃーね。


★★★

*1:最近は少し特色のある高校もでてきていると思います。