清朝の王女に生まれて

昨日読み終えた「清朝の王女に生まれて」、著者は愛新覚羅顕蒅。ラストエンペラー溥儀の親戚で、粛親王*1という清朝の皇族の末娘です。

清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)

清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)


この粛親王には 37人の子供がいます・・・。その一人は、東洋のマタハリと言われた女スパイ川島芳子で、この本の著者は芳子の妹にあたります。

ちきりんはこの「愛新覚羅家」が大好きで関係者が出している本を片っ端から読んでいます。ほぼすべてが実話、回想録で、歴史の流れがビビッドにわかって本当におもしろい。

今回の一冊も、なんともいえないインパクトのある読後感でした。

★★★


溥儀や溥傑と同じように、彼女も革命後(=中国が共産主義になった後)に逮捕され 15年服役、その後も 7年くらい農村で働かされています。この“革命中国”の徹底ぶりがすごい。

日本で言えば終戦直後に昭和天皇、その子供や家族、皇族を逮捕して一般囚人と全く同じ扱いで牢屋に入れ(死刑にはせず)何十年もかけて思想改造する。

すごくないですか? フランスみたいに殺してしまうならわかるのですが、中国共産党は「皇帝を思想改造する」、そのコンセプトがすごい。


そして溥儀、溥傑、この人も皆、当然と言えば当然ですが、20年も牢屋で暮らすと、いわゆる「人格改造」が起るんです。

洗脳とか転向というレベルではなくて、もう完全に違う人に生まれ変わってしまう。それが目的なわけですけど、実際にそれが起ってしまう。

その自然さというか、そのプロセスを本を読むことで全部文字で追える(追体験できる)。これがなんていうか、想像を超えたすごさです。

生まれてから二十歳まで暮らしてきた世界を全否定されて、20年牢屋で、全然違う思想世界に生まれ変わらせられる。人はどう変わるのか、文字の奥から押し出されて突きつけられるような、そういう本でした。


★★★


ちなみにこの一家は日本と親交が深く、彼女も学習院で学んだり、学生時代の多くを日本の友人と過ごしています。そして王女様なわけですから、当然にそれなりの生活をしています。

兄弟の多くは終戦後、中国が共産主義になるのを見越して日本や香港、台湾、欧米に亡命します。

当然だよね。自分たちは日本の皇室や軍部に支援(&利用)されたわけだから、中国に残っていては危ないわけです。

でも逃げ切れない人達もいる。男一人なら逃げられるけど、女子供多数だと難しい。あと、女子供なら残っていても殺されないだろうと思って、残ったのかもしれません。いずれにせよ、彼女は中国に残った。ここが運命の分かれ目

少しの間はそれなりに生活をやりくりし、没落貴族の見習い商売で成功したりもし、なのだけど文革が始まると“出自”が災いして捕まってしまいます。そこから一般囚人と同じ生活が始まる。


この辺りまでは本人も「昔の人格」なわけです。たとえばなりふり構わず商売している時に結婚するんだけど、その相手は「書画家」なんです。で、「彼の芸術を支援したかった」みたいな結婚。

これってまさに王族の考え方だよね。パトロンとして芸術の才のある人を支援する、作品と創作活動を通して心通わせる、みたいな。

間違っても商人と結婚しようとか考えない。生活にはすごく困っている。だけど、“芸術家”肌の男性と結婚する。


逮捕された後はその人と離婚して、20年の服役を終えた後、今度は晩年に農村で再婚します。

今回の相手は、学校もでていない口べたな農夫。誠実で、農業技術には秀でているいい人だけど、学もないし、芸術もわからない。


最初、彼女はこの人と結婚するという現実を受け入れられません。「全く話が合わない」と言って結婚を勧められても、それを避けようとします。

その後、周りの人の薦めや説得があって、ちょっとずつ受け入れていくのだけど、なんと最後にはすごく幸せに、その「昼食のために麺をゆでてくれる夫」との暮らしを語ります。

彼女の人格が王女から労働者に思想改造されたことにより、「学はないけれど、やさしく生活力のある夫」との生活こそが幸せだと気づいていく、わけです。


このように、彼女の人格が大きく変っていくその詳細なプロセスを、読者は文章を通じて体験できます。

20才くらいまで、彼女にとって価値あるものとは、芸術であり、思想であり、国家であり、誇りでした。何度もいいますが、王女だったんです。

それが20数年の思想教育を経て、「大事なものとは、日々の生活であり、毎日食べる麺であり、畑で汗を流して働くことである」と変っていく。


中国共産党の思う壺!


これって、革命中国の中心思想そのものです。インテリじゃなくて、生活者である労働者の生活こそが大事なのだ、と。

それを血肉として身につけていく過程を、彼女は体現しています。清朝の王女がいかにして“中国人民”に生まれ変わっていくか、という物語。


最初は、「まるで革命中国、共産中国の宣伝本みたいな本だな」と思いました。でも決してそうではありません。この人は単に自分の人生を、記録に残しているだけなんです。淡々と。それがそのまま「理論通りの思想改革」を表している。

溥儀に起ったことも全く同じなんだけど、「あー人間ってこうやって“作り替える”ことができるんだ」と感じられ、とても興味深かった。


牢屋にいる間、彼女はずっと、日本への留学時代、王女であり女学生として暮らした幼き日の優雅な生活を懐かしみながら生きています。

ところが、その彼女が人生の晩年に語る一節が下記です。それまでの彼女は「私には日本時代のお友達しかいない。中国にはお友達がいないのだ」と日本への郷愁ばかりを書いていたのに・・

私は自分が中国人でありながら、中国の普通一般の人達の生活をあまりにも知らないのに気がつきました。中国の一般家庭の生活、おつきあい、友情や義理人情は本当に暖かなものです。


彼の周りの朴実な人達の言葉少なく行動で表す友情のやさしさと誠実さに私は、心からの温もりを感じました。私にはたくさん、学ぶことがありました。


彼らは貧しくて、いろいろ見聞する機会もなかったのは、社会の問題です。お金がなくて学校にいけないだけではなく、家の労働力として子供のころから働くのです。女の子は7つくらいから、もうご飯炊きをさせられたりします。


こういう事実を、私はこの眼で見て、深く感動を覚えました。彼等と自分の感情の違和感は、私の方が「改造」すべきものなのだと思いました。


私は、高等教育をうけた恩恵は否定しません。ただ、中国人として、自分の祖国にたいする知識がなさすぎるのです。

こういうことを、元清朝の王女が自ら本に書くんですよ。

王女である自分と、中国人民と、その間には“感情の違和感”があったと。なんとなく話が通じない。こっちの言ってることを相手は理解しないし、相手のやろうとしていることが、どうもこちらはよくわからない。

でもようやく自分は気がつきました。間違っていたのは、間違った育てられ方をしていたのは、間違った思想教育を受けてきたのは、自分の方である、と。


終戦時に日本が天皇や皇族を逮捕、投獄していたとしましょう。元皇太子なり王女なりが牢屋で一般囚人と共に20年すごした後、地方の農村で10年農作業にいそしみ、そしてこういう文章を書いたとしたら・・・と想像してみてください。

中国の革命家達が、完全に意図したとおりの、もしくはそれ以上の記述だと思いませんか?


すごいなあ、と。



そんじゃーね。


清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)

清朝の王女に生れて―日中のはざまで (中公文庫BIBLIO)