先進国になると必ずでてくるのが「これ以上、豊かになる必要があるのか?」といった議論です。
真夜中でも煌々と電気がついた街で、24時間多くのサービスが受けられるし、猛暑の中、クーラーで冷やした部屋でサマーセーターを着用し、冬にはシャツ一枚で歩けるくらい家全体を暖める。
「こんな生活をする必要が本当にあるのか?」とは、誰もが一度はもつ疑問でしょう。
政府は毎年、当然のように「何%の経済成長を目指す」と目標を掲げます。しかしいったい私たちは、何のために経済成長を目指すのでしょう?
私も以前はこの質問に明確に答えられなかったのですが、20代の終わりにアメリカに留学した時、その学生街でみた光景からこの問いへの自分なりの回答を手に入れました。
私が留学したその大学街は、アメリカの中でも注目されている、とても社会的に実験的な街でした。
ホームレスや障害者、まだ効果のある薬が開発されていなかった時期の HIV ポジティブの人など、
「弱者と呼ばれ社会から疎外されていた人達に、強者と同じ機会を与えるべき」
という思想と理想を、大学はもちろん街全体が実践しようとしていたんです。
バスはすべて自動昇降ステップがついていて、実際に多くの停留所で車いすの人が乗り降りしていました。
授業には聴覚、視覚、四肢様々なところに障害をもつ学生達が出ているのですが、彼らにはボランティアの学生が授業ごとに一対一でつき、ノートをとったり教科書のページをめくる手伝いをします。
そういった人達も学生寮で暮らせるよう、毎週1時間でもボランディアができるような仕組みになっていて、多くの学生が洗濯などの日常の手伝いや、外出の手伝いをします。
外出は、買い物や授業にいくなどの不可欠なものだけではなく、フットボールを見に行くとか、デートに行くとか、そういう外出も含めてサポートしてもらえます。
様々な条件をもつ人が「普通の生活を望むことの当然さ」を、街全体が受け入れていたのです。
その結果、全米から、そして世界から障害のある学生がこの街に集まっていました。
ここなら彼らも親元を離れ、大学生として一人暮らしや寮生活をすることが可能になるからです。
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障害者は隔離されて教育されるという時代の日本で義務教育を受けてきた私には、それは衝撃的な光景でした。
そして、ようやく理解できたのです。「国が豊かになるとはこういうことなのね」と。
「こういう社会を実現することが可能になる、それが国が豊かになる意味であり、目的なんだな」と。
発展途上国に行くと、バスには溢れんばかりに人が乗っています。
走り出したバスのドア枠にしがみついて乗車し、降りる時は周りの人を押しのけて飛び降りる。
信号もない交差点を洪水のように走り続けるバイクや車の列の合間をぬって道を横断する。
駅の階段にはエレベーターもエスカレーターもない。
そういった環境では、車いすの人はおろか、杖をついているだけでも日常生活に大きな支障がでます。
事実上、ひとりでは街にでられないといっても過言ではないでしょう。
経済発展して何の意味があるのか、という問い。
人は本当に経済発展と共に幸せになっているのか?という問い。
便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないかという疑問。
「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気がつきました。
階段がなんなく上れて、車やバイクで大混雑している街でも移動に困らない、
そういう人だから「贅沢では?」などと思えるのです。
私も若い頃あちこちに旅行し、発展途上国の大都市における無秩序でエネルギー溢れる様子に感動し、興奮しました。
しかしあの高揚感こそまさに、私が「強者」であったからこそ楽しめたものだったのです。
そのアメリカの学生街で過ごした後、私はクリアに答えられるようになりました。
「なぜ経済発展が必要か?」と問われたら、「弱者も生きること、生を楽しむことが可能になるからだ」と。
豊かになるとはそういうことなのだと、あの 2年間で強く印象付けられたのです。
経済状況が厳しければ厳しいほど、人間の社会も基本的には動物の世界に近づきます。
弱者にかまっていられなくなるのです。そして、力のない者は淘汰されます。
戦争になれば、乳幼児、お年寄り、ケガ人や病人、走ることのできない妊婦、体の弱い人から順に死んでいきます。
力の強いもの、生物としての生存能力の高い人しか生き残れなくなります。
災害が起こって、水や電気が止まれば、持病のある人、透析や人工呼吸器やペースメーカーが必要な人、共同生活ができない状態の人は、命の危機さえ感じなくてはなりません。
それは「疲れる」「よく眠れない」程度の話ではないのです。
弱者も生存でき、生活の楽しみを経験できる世の中にするためには、社会には一定の余裕が必要です。
強者にとっては贅沢に思える設備も、弱者には生活の必須アイテムかもしれません。
だから私は今の日本においてさえ、「もう経済発展しなくていい」とは思いません。
私たちは進み続けるべきなのです。