「資産」と「能力」:ゲームの選択

さて昨日は、「戦いが能力から資産に変わった」という話をしました。今までは世界はその能力で戦っており、「勤勉」や「細やかさ」「こだわり」などにすぐれた資質をもつ日本人は「生産能力」という点で各国を凌駕し、世界2番目の経済力を誇るまでになったわけです。

しかし戦いは今や「何ができるか」ではなく「何を持っているか」になったわけで、石油も食料ももたず、人間の頭数さえ減少傾向に入った日本はもはや「世界の2位」どころか10位に入ることさえおそらく難しい時代になるであろうと。これが昨日のエントリの趣旨でありました。


「能力を競うゲーム」を「持ってるものの価値を競うゲーム」に変えたのは、結局は「両方をもっている米国」であったわけですが、それは、「能力だけあって、資産のない」日本をおとしめると同時に、「能力はないけど、資産はたっぷり」な中東、ロシア、そして南米やオーストラリアなどの相対的地位をぐぐいと引き上げ、世界の力関係を完全に変えてしまったのです。


では、この我らがニッポン、「持たざる国」の戦略はどうあるべきなのか?
この「持ち物の価値を競うゲーム」にどうのぞむべきなのか?

日本は今「環境技術で勝つ!」とか言っているが、これこそまさに「能力で勝負時代の発想」。完全にオールドパラダイムであろうと思うのだ。もちろん節約技術で高騰する資源を有効に使えるという意味では若干でも「資産勝負」に関係するとも言えなくはないが、そんなものに“いいお客さん”、すなわち“金をもっている国”=資源国が関心をもつとも思えない。彼らは資源受給が逼迫している方が有利なのだから。

というわけで「技術で勝負!」みたい発想自体が「能力ゲーム」であった時代の戦略であり、「資産ゲーム」の時代に通用する発想ではない、ということを私たちはまず認識しなければならない。






なんちゃって。

★★★

でさ、


でもこういう考え方もある。「この資産ゲームは結局バブルでしょ?すぐに終わるのでは?」

そうね。食料も石油も昨日書いたように世界全体では「足りている」のだ。価格高騰のために貧しい国では需要問題につながっているが、富裕国である日本には関係ない。しかも「基本的には足りている」のだから、どこかでバブルが終わるだろう、と。


なんだけどさ。終わらせるには「誰かの意志と行動」が必要なんです。金融バブルを日銀と大蔵省(当時)が「総量規制」という“超のつく世間知らずの官僚でなければ絶対にできなかったであろうあまりにもぶっ飛んだ政策”で“その後、長く続くロスジェネを生むことも全然気にもせずに”実行したように、相当の“何か”がないと終わらない。(あんな政策、世の中を知っている人にはとてもできない。)

70年代のオイルショックの時であれば日本国中が省エネを徹底し、「生活のレベルをさげる」という行動に出た上に、すべての技術が省エネへと向かった。そして、ここが大事なのだが、オイル高騰で中東にヘゲモニーを奪われそうになった欧米は「じゃあ、おまえらが持ってない資産である食料も高騰させるぞ!」という戦略ではなく、「代替エネルギー」を作るという方向に舵をきった。一番大きいのが「原子力」である。

「資産で勝負!」をしかけた中東に対し、「その資源」がなかった欧米は、「他の資産で勝負!」するのではなく、「能力で資産ゲームを終わらせる!」という行動にでたのである。

そしてこの「石油という資産ゲーム」に「原子力技術という能力ゲーム」で勝負を挑んだ欧米の戦いが勝利を収め、石油価格はその後長きにわたり20ドル前後で安定することになったのである。






なんちゃって。

★★★

でさ、


じゃあ、今回このゲームを「能力ゲームに引き戻す」のは誰なのか。その人が「ぐぐいっ!」と舵を切らなければ、世界相手にその人の大胆かつ戦略的な判断と行動が勝てなければこのゲームは終わらない。


それは誰?それは何?


誰って、当然、今回負けてる方の人たちだ。勝ってる方の人にはそれを終わらせる動機がない。それどころか、彼らは誰かが「能力ゲーム」に戻そうとしたら全力でそれを止めようとするだろう。


今回負けてる国といえば、ええっと・・・


日本、韓国、アフリカの大半(資源のない国)、ミクロネシアのうち資源のない国、東南アジアのうち資源のない国(ビルマ、ラオスあたり?)、東欧州・・・







そんじゃまた。

★★★
1年2ヶ月前、自分がどれくらい何もわかっていなかったかが痛感できる記事
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070427